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ゆるキャン△の聖地を行く45 その2  伊香保温泉露天風呂へ

2025年02月08日 | ゆるキャン△

 伊香保温泉街の最奥部、物聞山(ものききやま)の東麓の谷間に、伊香保温泉の源泉があり、発祥の地とされる千明元屋敷跡(ちぎらもとやしきあと)があります。その横に上図の赤い橋がかかっています。河鹿(かじか)橋といい、観光遊歩道用の橋です。

 

 河鹿橋を渡りながら、右手に見える車道の橋を見ました。橋から右に行くと、私が上ってきたバス停「伊香保案内所」からの坂道に通じます。左に行くと温泉街へと進みます。

 

 河鹿橋の銘板です。このあたりは、春には新緑が、秋には紅葉が楽しめる名所となっているそうです。このときは10月中旬なので既に暦のうえでは秋になっていましたが、夏が暑すぎて10月でも気温が高止まりのままでしたから、周辺の紅葉もまだ鮮やかな青緑色のままでした。

 

 その河鹿橋を、今度は車道の橋から撮りました。下を流れる川は温泉に含まれる鉄分で茶色に染まっていました。

 

 伊香保温泉の源泉は二種類あり、中世戦国期から千明氏が支配していた湯元のほうは、「黄金(こがね)の湯」と呼ばれる硫酸塩泉(りゅうさんえんせん)で、もうひとつの湯元は平成八年(1996)に開削されたもので、メタ珪酸(けいさん)の含有量で温泉と認定されて「白銀の湯」と呼ばれます。

 伊香保温泉のお湯といえば、たいていは前者を指します。江戸期までに土地・温泉の一切を所有して「大屋(おおや)」と呼ばれた14軒の温泉旅館の全てが、この源泉から引かれる「黄金の湯」を用いています。ゆるキャンに登場した「石畳の湯」のモデル「石段の湯」も同じ「黄金の湯」です。

 

 車道に戻って上に進むと、右手に上図の案内看板がありました。Mが言ってた古い道標はこれか、と気付きました。

 読みながら、ドイツ人医師ベルツ博士、とはエルヴィン・フォン・ベルツのことか、と思い出しました。帝国大学医学部教授で戦時中は海軍の軍医官だった祖父の書棚にもベルツ博士の著書が幾つかあって、そのうちの2冊を父が、そして私が受け継いで所蔵していますが、その1冊が「日本鉱泉論」といい、伊香保温泉の紹介も含まれています。

 ですが、私自身はもう1冊の「ベルツの日記」のほうが面白くて、よく読みました。明治期の日本の状況に関するベルツの分析や把握、日本人に対する手厳しい批判などが、現在の日本人にもあてはまるものがあって色々と考えさせられました。

 さらにベルツ博士は明治期の日本人の食と健康についても興味深い論述を残しています。例えば、日本人は長い歴史のなかで玄米と雑穀を主食とし野菜や海藻を多く食べているため、西洋栄養学の食事よりも和食が合っていた、といいます。肉食の歴史が短かい日本人は肉類消化に時間が掛かり、肉類のタンパク質と脂質は腸内で腐敗し酸毒化しやすく、長い腸内で老廃物が長時間血液を汚して細胞と組織を劣化させ、色々な病気を発症させる、と述べています。

 これは、戦後の日本人が肉食中心となるのと並行して様々な疾患や病気に悩まされ、癌の罹患率も激増していった状況を的確に言い表しています。肉を小麦に言い換えても、同様の状況が指摘出来ますから、嫁さんなどは私の病気や体調不良の原因が小麦だろうとみて、小麦を原料にした食品の摂取を一切禁じているわけです。

 

 古い道標の実物です。刻まれた文字もハッキリと読めました。

 

 さらに進むと左手に上図の飲泉所がありました。ここの温泉は飲むことも出来るようです。実は、伊香保温泉は「飲める温泉」と認定された国内第一号にあたるそうで、明治初期に伊香保を訪れたベルツ博士が、温泉街の環境や衛生について調査した結果により確定したそうです。

 

 道が行きどまりとなっている手前の右側に、目的地の伊香保温泉露天風呂がありました。伊香保温泉には二ヶ所の外湯があり、一ヶ所がここの源泉脇の露天風呂、もう一ヶ所がゆるキャンの聖地にもなった「石段の湯」です。

 

 露天風呂の施設の向かい、山側にある源泉の噴出口の覆屋です。

 

 銘板には「噴出口 第二号源泉」とあります。いまの伊香保温泉はここを源泉としていますが、昔は第一号の源泉もあったのでしょう。

 

 噴出口は、ドーム状のガラスに覆われていて、覗き込むことも出来ます。茶色の湯というから濁っているのかと思いきや、意外に透明な湯でした。地下からの送湯管によって絶えず地上に湧出し、それを湯桶と呼ばれる引湯管にて温泉街に流しているそうです。

 

 さて、いよいよ入りますか。大人600円なり。

 

 チケットは上図の自販機で購入し、窓口で半券を貰うシステムでした。

 

 内部は撮影禁止でした。源泉の「黄金の湯」を掛け流しで使用した野趣あふれる温泉で、湯船は二つに仕切られていて左側は熱め、右側はぬるめになっています。昔は混浴だったそうですが、今は広い湯船を中央で仕切って、奧が女湯になっています。

 お湯は、やや白濁した茶褐色でザラザラしており、これは鉄分を多く含むことによります。施設内の表示によれば、湯温は源泉で45度、湯口で43度となっていますが、個人的にはやや温いかな、と感じました。  (続く)

 

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