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京都鉄道博物館10 梅小路機関車庫のSLたち 下

2025年03月10日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 京都鉄道博物館の梅小路機関車庫の続きです。マイテ49形の特別展示の横には、上図のC51形239号機がお召列車の装いで展示されていました。京都鉄道博物館で保存しているC51形239号機を、去る2019年3月の「梅小路京都西駅」開業に合わせて、梅小路機関区所属機のお召し仕様に装飾し直したものだそうです。

 

 C51形は、日本国有鉄道の前身である鉄道院が1919年に開発した幹線旅客列車用の大型テンダー式蒸気機関車の一種です。製造当初は18900形と称しましたが、1928年6月の形式番号改変にてC51形と改められました。 1919年から1928年までに289輌が製造され、1920年代から1930年代にかけて主要幹線の主力機関車として活躍、1930年から1934年まで超特急「燕」の東京・名古屋間の牽引機を務めました。国鉄の蒸気機関車としては比較的早い時期、1966年に全廃されたため、いま完全に現存しているのはここの239号機と、埼玉の鉄道博物館の5号機の2輌だけです。

 この239号機は、お召し列車の専用機関車に指定され、1928年11月の昭和天皇の大礼から1953年5月の千葉県下植樹祭までに104回にわたりお召し列車に起用されています。お召し列車の専用機関車としては歴代最多の栄誉に浴した名機であり、ここでのお召し仕様展示もその歴史をふまえてのものであるそうです。

 

 嫁さんが「これ手塚治虫の「火の鳥」みたいなデザインに見えますね、鳳凰ですか?」と訊きました。そうだ、と答えておきました。鳳凰は、菊花紋とともに皇室を象徴する意匠として知られます。機関区によってそれぞれのデザインがあったそうで、こちらのは梅小路機関区のデザインであるそうです。

 

 隣にはD51形のトップナンバー機がありました。日本を代表する蒸気機関車として知られています。
 D51形は、日本国有鉄道の前身である鉄道省が設計、製造したテンダー式蒸気機関車の一種です。全国各地の主要路線のみならず、地方線においても主に貨物輸送の牽引車として活躍しました。1935年から1945年までに製造され、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、国鉄の在籍車輌総数だけでも1115輌に達し、台湾や外地向けの製造分も含めると1184輌に及びます。これはディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車の一形式の製造輌数としては最多であり、この記録は現在も更新されていません。

 そのためか、現在も保存機が全国各地に100輌余りあって、動態保存されているものも2輌が知られます。かつては山陰線でも福知山機関区所属の数輌が活躍していて、初期型と標準型と戦時型の三つの仕様が存在していました。

 嫁さんが自らのNゲージの「山陰線ジオラマ計画」用に購入したのは、福知山機関区に居た727号機と同じ標準形の後期型仕様と同じタイプの、マイクロエースの750号機です。嫁さんはさらに戦時型も購入する予定だそうで、かつて園部車輌区に属した1018号機と同じ戦時型仕様のタイプとしてマイクロエースの1002号機に目を付けている、と話しました。
 それで、初期型は買わないのか、と尋ねたところ、「亀岡車輌区に25号機や66号機が居たそうなんで、いずれはナメクジ型も買わないといけないですねえ、・・・買っていいですか?」と聞き返してきました。こちらとしては嫁さんが楽しんでいれば十分なので「もちろん、好きな時に買ったらええ」と答えておきました。すると笑顔で頷いていました。

 嫁さんは、ガチのモケジョだけあって、ふだんから模型やプラモに色々とお金を使っていますが、どちらかといえば節約、倹約する主義で、決して無茶したり衝動買いしたりして、やたらに買いまくるようなことは絶対にしません。ひと月幾らまで、と決めてその範囲内で中古ショップなどでコツコツと買っていますが、買わないで資金を貯めている期間のほうが長いです。その様子を結婚前からずっと見て知っているので、私としては特に言うことはありません。

 

 D51形の隣には、C11形の64号機が居ました。嫁さんが「大井川鐡道のきかんしゃトーマスになってる機関車ですよねえ、でもなんか、見た目の印象が違うような気がしますねー」と言いました。

「そりゃあ、トーマスのほうはデフが無いし、ヘッドライトも下に移してあるもんな」
「あっ、そうですねえ、デフレクターがこっちは付いてるんですねえ・・・、大井川鐡道のは、C10形もデフレクター付いて無いですもんね、スッキリしたイメージがあります・・・」

 

 C11形は、日本国有鉄道の前身である鉄道省が1932年に設計したタンク式蒸気機関車の一種です。明治期以降に導入および製造された、種々雑多な種類の機関車の運用が煩雑でコストもかかり、それらが老朽化していたのをまとめて置き換えるため、規格および形式の統一化を図って開発されました。1932年から1947年までに381輌が製造され、全国各地のローカル路線で主力牽引車として活躍しました。小型で扱いやすく、維持費も比較的安く済むことから、いまも数輌が動態保存されて各地で運用されており、静態保存機も全国各地に多数が残されています。

 このC11形は、大井川鐡道に集中して残されており、動態保存機が2輌、静態保存機が1輌、導入予定機が1輌の計4輌にわたっています。私も数度のゆるキャン聖地巡礼にて大井川鐡道に乗り、動態保存機のうちの2輌つまり227号機とトーマスに扮している190号機、静態保存機の312号機を見ています。
 嫁さんも、模型仲間と去年に初めて大井川鐡道に行ったときはトーマス列車に乗っていますから、190号機の動いているのを見てきているわけです。

 

 次に、修理中のC62形2号機を見ました。2024年の1月に操作ミスによる炭水車の脱輪事故を起こして以来、ずっと、庫内での修理作業が続けられているようでした。

 

 御覧のように前から庫内に突っ込んで、炭水車を外して隣の線路に移してありましたので、運転室の様子だけでなく、その床下の車台や各機器の様子がよく見えました。というか、見えるようにしているのでしょう。

 

 嫁さんが「こんなふうに機関車の後ろの断面を見られるのって、あんまり無いんじゃないですか?」と言いました。
 確かに、解体や廃車の車体ならば、こういう風に見られるかもしれませんが、車籍もある現役の蒸気機関車では通常は炭水車が繋がっていてこのようには見えません。稀な機会であるのは間違いありません。

 

 大型の機関車ですからボイラーも大きくて、運転席も広くてゆったりした空間を持っています。操作機器のハンドル類もあまりゴチャゴチャと付いていない感じで、ボイラー本体の広い壁面が印象的でした。

 

 隣の線路に置いてあった炭水車です。その後部台車が手前に引きだしてあり、これが事故で脱輪した台車なのかどうかは分かりませんでしたが、どこにも破損個所はみえず、修理も完了しているもののように感じられました。いずれは元のように「SLスチーム号」の牽引運転に復帰するのでしょうか。

 この2号機は、周知のように除煙板にステンレス製の「つばめマーク」が取り付けられており、「スワローエンゼル」の愛称で親しまれてここ梅小路機関車庫の顔として知られます。

 

 C62形2号機の隣には、既視感のあるディーゼル機関車が居ました。嫁さんが「あっ、あれ、嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車の機関車じゃない?・・・ナンバーも同じですよね、ね?ね?」と嬉しそうに指さしながら私の肩を揺すりました。

 その通り、以前に嫁さんと嵐山のトロッコ列車に乗りに行った時の牽引機関車、DF-10形の1104号機でした。当時のレポートはこちら

 

「わー、ほんまにここの所属機なんだあー、定期的にメンテナンスを受けてるわけですねえ」
「そうやな、嵯峨野観光鉄道はJR西日本の子会社やから、これの整備もJR西日本に委託してるんかもな」

 

「これがここに居てるってことは、いまのトロッコ列車は別の機関車が引いてるってことですよね」
「予備機があると聞いてるが。何号機なんかは知らんけど」
「ちょっと調べますね・・・、(しばらくスマホで検索)・・・分かりました、1156号機です。これと同じ塗装ですけど、籍はJR西日本の所属ですって」
「まあ、そうなるやろうな。嵯峨野観光鉄道には引込線も検車区も無いからな、線路は嵯峨野線に繋がってるし、ここまで持ってこられるから、予備機も整備もJR西日本が受け持つことになってるわけやな」
「そういうことですねえ」

 

 庫内の一番端の駐機線には、上図の7100形7105号機「義経」号が居ました。
 7100形は、日本国有鉄道の前身である鉄道院、鉄道省が、1880年の北海道初の鉄道(官営幌内鉄道)の開業にあたってアメリカ合衆国から輸入したテンダー式蒸気機関車8輌のうちの1号機です。大正期には全車が廃車となり、そのうちの3輌が現存しています。1輌は「弁慶」号の名で埼玉の鉄道博物館に、もう1輌は「静」号の名で小樽市総合博物館に展示されています。  (続く)

 


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