天正6年(1578年)織田信澄によって築かれたと云われる。
織田信澄は織田信長の実弟織田信行の子で、津田信澄とも称した。
元亀年間(1570年~1573年)に信長は浅井長政を滅ぼして高島七頭も降すと、
高島郡には磯野丹波守員昌( かずまさ) が入部し新庄城を居城とした。
信澄はこの員昌の養子となっていたが、天正6年(1578年)員昌( かずまさ)は信長の勘気を被って追放されると所領は信澄が継いだ。
琵琶湖の西岸を走る国道161号で、正面衝突による死亡事故が絶えない。滋賀県警によると、10月だけで2人、過去10年間で14人が亡くなった。事故は片側1車線区間に集中し、原因はいずれも居眠りなどによる対向車線へのはみ出しだという。国土交通省はセンターライン上のゴム製ポールなどで安全対策を進めるが、頑丈な防護柵などは法律上設置できず苦慮している。