2000年にわたり培われてきた小国の生存戦略
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川島 博之のプロフィール
ベトナム・ビングループ主席経済顧問、Martial Research & Management Co. Ltd., チーフ・エコノミック・アドバイザー。
1953年生まれ。69歳。
77年東京水産大学卒業、83年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得のうえ退学(工学博士)。
東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授などを経て、現職。
主な著書に『農民国家・中国の限界』『「食糧危機」をあおってはいけない』『「食糧自給率」の罠』『極東アジアの地政学』など。
◎Wikipedia
(川島 博之:ベトナム・ビングループ、Martial Research & Management 主席経済顧問)
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大国に陸続きで隣接する小国は気が休まらない。
中国の周辺では朝鮮とベトナムがそれに該当する。
なんと言っても日本と中国の間には海があり、ちょっとやそっとのことでは攻めて来ない。日本にはそんな安心感がある。
歴史を振り返るとき、朝鮮とベトナムの中国との接し方は大きく異なっていた。
朝鮮は常に中国に従う道を選んだ。
だが、ベトナムは面従腹背を繰り返して、完全に中国に従うことはなかった。
そんなベトナムは細心の注意を払って中国を見つめている。
〇いち早く駆けつけて祝意を述べた書記長
10月25日にベトナムと中国の双方は、10月31日からベトナム共産党のグエン・フー・チョン書記長が中国を訪問すると発表した。
発表は中国共産党大会が終わってから3日目であり、訪中はその6日後である。電光石火の訪中と言ってよい。書記長はベトナム共産党で序列第1位、その力は2位のフック国家主席や3位のチン首相を上回る。
習近平が慣例を破って3期目に突入しただけでも評判が悪いのに、蓋を開けたら政治局常務委員を側近で固めた。
下馬評が高かった李克強や汪洋、胡春華は完全に排除された。
そんな習近平の独裁に世界は驚くとともに、これまでにも増して警戒心を抱くようになった。
そんな時にベトナムの書記長がいち早く駆けつけて祝意を述べた。
習近平としても悪い気はしない。最高の待遇で書記長を迎えた。
これを、隣接する社会主義国同士の親愛の情の表れと捉えてはいけない。
両国は歴史的に何度も戦火を交えており、仲が悪い。
冒頭に述べたように、ベトナムは細心の注意を払って中国の動向を見つめている。
それは中国も同じこと。
中国はベトナムを御しにくい隣国と思っており、両国のインテリジェンスは水面下で火花を散らしていている。
〇ベトナムにもたらされた情報
今回の書記長の訪中は9月に入った頃から準備されたようだ。
ベトナムの政局は中国の動向に大きく影響されるが、北戴河会議が終わった8月中頃、ベトナムでは「習近平政権は3期目に入るが、権力は絶対ではない」との見方が大勢を占めていた。
その観測は日本などでも同様であり、常務委員の中に複数の共産党青年団出身者が入ると思われていた。
その見方が変わったのは9月に入ってからである。
恐らくは9月上旬に水面下で中国側からベトナム側に、党大会において習近平の独裁が完成するとの情報がもたらされたのだろう。
その頃から書記長訪中の準備が始まった。
書記長は3年前に脳梗塞で倒れており、現在も左手に麻痺が残る。
そんな書記長は、この3年間、飛行機に乗ることはなかった。
だが9月23日、倒れてから初めて飛行機に乗りホーチミン市を訪問した。
大人数の医師団を同行させたなどとも言われている。
その時、多くのベトナム人は、書記長は健康をアピールするために飛行機に乗ったのだろうと思った。
しかし今になると、多くのベトナム人は、あれは北京まで飛行機に乗って行けるかどうかを確かめたのだと考えるようになった。
〇水面下で囁かれている「密約」とは
書記長がこれほどまでに準備をして訪中したことにはそれなりの理由がある。ここからはベトナムで密かに話されている話である。
健康に不安を抱える78歳と高齢の書記長がなぜ中国共産党大会の直後に訪中しなければならなかったのか。
今回の訪中でも書記長は体調がすぐれないとして、昼間に行われる公式行事以外は全ての予定をキャンセルしたと伝えられる。
それほどまでして訪中しなければならなかった理由があったはずだ。
そこで語られているのが、南シナ海と北部国境の安全保障である。
書記長が共産党大会直後に訪中して習近平独裁に賛同するような態度を表明するとともに、台湾有事の際にいち早く中国支持を表明する。
ベトナムがそんな密約を交わしてくれれば、中国は南シナ海と北部国境でベトナムの安全保障を脅かすような行為はしない──。
中国からそんなことを言われたのではないか?
水面下でそんなことが囁かれている。
だが、そう言われたからと言って、そこまで習近平に擦り寄る必要があったのか。ベトナムの識者は戸惑いを隠せない。
その戸惑いに対する答えは、「習近平は本気で台湾に対する武力侵攻を考えている」というものだった。中国の本気度がベトナムを動かした。
ベトナム側は9月の初めに、党大会で習近平独裁が完成するであろうこと、かつ習近平が本気で台湾侵攻を考えていることを掴み、それに対応すべく無理をしてでも書記長を訪中させることを決定したというわけだ。
〇習近平は本気で台湾に侵攻する?
この決定は、対米関係を考える時には大きなマイナスになる。
これまでベトナムは、中国との関係を悪化させることなく米国との関係を強化することを、外交の基本方針に据えてきた。
ところが今回の訪中は、その方針をかなぐり捨てたと言ってよいものになってしまっているのだ。
それだけ中国からの要請が恫喝的で強いものだったということなのだろう。一方、ベトナムとしては、南シナ海や北部国境の安全を確保できるとの確信をどんなことをしてでも得たかった、と考えることもできる。
過去2000年にわたりベトナムは中国と対立してきた。
小動物は猛獣の態度や顔色からその本心を見抜く術に優れる。
ベトナムは中国の本心を見抜く術を2000年にわたり学習してきた。
そんなベトナムは、習近平が本気で台湾に侵攻すると考えている。
今回の書記長の訪中は日本では大きく報じられることはなかったが、そこに隠された意味は大きい。習近平は本気だ。