おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

抗がん剤の副作用かな。

2007年12月16日 16時13分48秒 | 乳がん記録
舌が痛い。のどが痛い。ピリピリする。
飲み始めてから数日でこの症状は起こった。
薬の量は減らしてもらった。
次回27日に手術の後の検査の報告と今後の治療法など
話してくださる。そのときまで飲んでみようと思っている。

食べ物の味も変だ。四六時中 舌が痛い。のどが痛い。ピリピリする。
いつまで続くのか。いつまで私がガマンできるのか。
本当のガンとの戦いが始まった気がする。

NHKのドラマで乳がんのために死んでいく。そういうのが放送されていた。
お願いだから、治って克服して今もたくましく生きている。
そんなドラマが見たいナァ。

だからね。おかあちゃん。

2007年12月16日 16時00分24秒 | 母の事(肺がん) そして絆
私は術後初めての診察に行った。
そこで年配の方とお話した。79歳で今年4月に手術をなさった。
母と歳が近い。乳がんも年齢は関係ない。
「この歳になって、オッパイが醜くなるのはショックですよ。」 と言われた。
私はハッとした。年齢が上になっても女性は女性なんだ。
おばあちゃんはオッパイなんて関係ない。なんて事はない。

母にも私は女性を否定する事を言っていないだろうか。
随分と傷をつけていると思う。これからは言葉に注意しなくてはと思った。

この頃の母は、前よりは体調はよさそうだ。
でも、すっきりという訳にはいかないみたいだ。
散歩に行こうと誘ってみるが 「行かへん。」 と言う。
風邪は引かれたくないが心配だ。
自分自身の事もあるが母の事が気になる。
私は母に言う。 「元気でいてくれないと私も頑張れへんからね。」

母は手術の日に来てくれて他の患者さん同士の会話を気にしている。
「2年が危ない。」 再発の危険を話されていたらしい。
私は 「大丈夫だから。」 と言うが心配なのだ。

おかあちゃん。私は大丈夫。だからおかあちゃん。無理せず痛いときは言ってね。

私のオッパイが人を救う

2007年12月16日 15時52分06秒 | 乳がん記録
12月14日

退院後始めての診察日だ。
先生は傷口を「 綺麗になったね。」と言われた。
私も本当に綺麗になったと思う。
「元気になったね。」と先生。
私 「最初から元気でしたよ。」
先生 「手術前から元気がないようで・・・。」と心配してくださっていた。
不安がないわけではないが 先生のやさしさが嬉しかった。

「オッパイを見せてあげてくれないかな。手術を怖がっている人がいる。」
と先生から言われた。
私は自分のオッパイを見せることで勇気を持ってくれる人がいるならお役に立ちたいと思った。
これってすごくない。私のオッパイが人を救うなんて思いもしなかった。
彼女は診察室に入っていくと涙ぐんでいた。他の病院で怖い事ばかり言われたと。
術後間もない私と年数の経った方のオッパイを見ての安心の涙だった。
「京都の中心で私のオッパイが人を救う。」なんてネ。本当にすごい。

検査結果が出た。27日に説明がある。右のオッパイからも微小ではあるが
ガン細胞は出たそうだ。