おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

大腿骨骨折(3)

2010年04月06日 00時28分38秒 | 母の事(肺がん) そして絆
私が、母との病院生活を望んだ理由は病院側の対処にあった。
このまま病院に、任せておけないと思った。
母の周りの雰囲気。看護師の対象。等々。

食事の時、家族の人が来ない場合。
お婆さんの前に、食事を置いておく。一人で食べられるはずのないお婆さんの前に。
ベットの傾きも、食べられる状態ではない。
時間が経って、看護師が「食べないの。」
一応、食べさせようとする。
だが、お婆さんの速度の合わせるのではなく、スプーンで口に入れ
「早くゴックンして。ゴックン」私にはこのゴックンの言葉が今も耳から離れない。
次々に口に入れては ゴックン。


お婆さんの腕には点滴。手には大きな手袋。
点滴をはずそうとするからだ。
母も、ある朝 大きな手袋をされ手を胸に組まれくくられていた。
私は、なぜこんな事をするのかと問いただした。
おしっこの管を抜いたのでと、言われ今後何かあった時には
しばってもいいと書いた書類にサインを強要された。
何でしばらなければならないのか。そんな事を注意するために
ナースセンターの横なのではないのか。許せない。
私は、個室でなくとも母に付くことを望んだ。

母との入院生活は、大変だった。
寝ているときはいいのだが、目が覚めると「おしっこ」
その度、おしっこは管が入っていて、自然と袋に溜まるから。
袋を外して見せる事もした。これが夜中続く。
10分毎の事もあった。
でも、これでしばられないと思うのと、母の世話が出来るのが嬉しかった。

コメント
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