花巻市新渡戸記念館主催の「新渡戸氏ゆかりの地を巡る移動研修」に参加。募集20名のところ30名以上の応募があって抽選で選ばれたものです。行先は奥州市(旧水沢市)で市役所近くの”先見の政治家”「後藤新平」に関わる施設の見学でした。この地で1857年(安政4年)に生まれ、新渡戸稲造とは5歳上になり、1929年(昭和4年)71歳で世を去りました。数々の大臣を歴任し東京市長にもなり、常に将来を見通す先見の政治家として偉大な実績を残しました。そして、全国各地に出向き自治の精神を広めようと努力し、”人のお世話にならぬよう 人のお世話をするよう そしてむくいをもとめぬよう”と自治三訣を提唱したようです。新渡戸稲造とともに台湾で気候に合った製糖業を盛んに行い、新渡戸は新平と巡り合わなければ国際連盟事務次長にはなれなかったとのこと。
後藤新平記念館に隣接する後藤伯記念公民館は、新平に世話になった読売新聞社社長の正力松太郎が新平の没後に寄贈した建物で、公民館と名付けられたが、公民館の名称はこの公民館が日本第1号で、今では公民館発祥の地とも呼ばれているようです。
初めて訪れた記念館では館長の説明で回りましたが、また行ってじっくりと鑑賞したいものだと思いました。県人の偉大な方に触れることが出来て良かったですね。
《今日の血圧》左から高、低、脈拍、計測時刻となります。かっこ書きは先週の高の数値です。
朝:159(161)103 61 3:30 昼:146(143)88 79 13:20 夜:117(131)65 89 19:20
【今日の三枚】
後藤新平記念館にある本人の等身大の展示物です。身長が164㎝ですが、その頃の平均身長が158㎝なので大きい方だったようです。
後藤新平旧宅です。
奥州市役所にある大谷翔平の握手像です。しかと黄金の手を握りしめました。
後藤新平記念館に隣接する後藤伯記念公民館は、新平に世話になった読売新聞社社長の正力松太郎が新平の没後に寄贈した建物で、公民館と名付けられたが、公民館の名称はこの公民館が日本第1号で、今では公民館発祥の地とも呼ばれているようです。
初めて訪れた記念館では館長の説明で回りましたが、また行ってじっくりと鑑賞したいものだと思いました。県人の偉大な方に触れることが出来て良かったですね。
《今日の血圧》左から高、低、脈拍、計測時刻となります。かっこ書きは先週の高の数値です。
朝:159(161)103 61 3:30 昼:146(143)88 79 13:20 夜:117(131)65 89 19:20
【今日の三枚】
後藤新平記念館にある本人の等身大の展示物です。身長が164㎝ですが、その頃の平均身長が158㎝なので大きい方だったようです。
後藤新平旧宅です。
奥州市役所にある大谷翔平の握手像です。しかと黄金の手を握りしめました。