ばーばの独り言

愛する娘へ。孫と過ごす喜びと身辺の出来事

☆ 通夜のはなし

2010-08-20 00:59:26 | よもやま話
地下鉄を出ると目の前に「○○家式場→」と看板があった。
初めて降りた駅だったが、周囲の景色に見覚えがある。
新宿駅からさほど遠くない実家の近くに隣接する大通りだった。

5分ほど繁華街を歩いてお寺に着くと大勢の参列者。
慌ただしく喪服の男たちが行き交っている。

小学校時代の仲の良い友人Mちゃんのツレアイの通夜である。
会社の現役の社長だった。
だから参列者も多いのだろう。
夫の方の親戚も並大抵じゃなく多いが、
仕事関係の方も多いようだ。

亡くなったご主人は写真の好きな方で、お宅に伺った時には必ず海の写真や
山の写真が飾られていた。

待ち合わせした友人と会う。
彼女も昨年の9月に、ツレアイを亡くしたばかりの寡婦だ。
とは言え嘆く暇も無く、共働きの娘夫婦の、孫の世話と食事作りに精出している。
「忙しくて忙しくて、暇なんてないわよ!」と元気である。


小学校時代、3人組みで仲良かった。いつも3人で行動していた。
今でもミニクラス会で一年に一回は会うし、個人的にも会っている。
その親友たちが昨年と今年、相次いで夫を病気で亡くした。
順番だと間違いなく次は3番目で家の番だよね・・・

式場には彼の撮った写真がいっぱい。
特に目を引いたのは、秋の明神池の夕暮れの写真だった。
神秘的で水が澄んでいた。



通夜の席に座って彼女が私に聞いた。
「あなたのご主人は?」
「うん、生きてる。持病があるけど、まだ暫くは大丈夫みたい」
と私は答える。

昨年の7月は親戚であり親友でもあるTちゃんの、ご主人が亡くなっている。
今年は、今でも付き合いのある中学時代の友人のご主人が、2人亡くなっている。
みんな60代から70歳そこそこの年齢だ。

男性ばかり、長患いせずに粛々と亡くなっていく。
それとも、櫛の刃が抜け落ちるように空いていく。
長寿社会というけれど、そんな気配はないような気がする。
ただし、何時の世も女性は元気だ。友人も気落ちした様子など
一切無く、元気元気とでかけていて、先日は家族で穂高だったようだ。

でも、私は自信が無い。
夫と特に仲が好いわけではないけれど、一人残される立場に自信が無い。

室外の、パイプイスに白い蚊帳のような幕が張られた一般客の席に居ると、
真言宗の導師さまのお経が聞こえて来た。
夕方の涼しい風が吹いてきて、一番後ろの角に座る私たちはほっとする。

焼香を終わると喪主のMちゃんに「大変だったわね」と小声で労いの言葉をかける。。

友人Yさんはその場で「49日が過ぎたら、旅行に行く」約束を取り付けたらしい。
ええ!そんな~。 早過ぎない?

通夜振る舞いの席で、遠慮しながらお寿司を食べて、程ほどの時間に腰を上げた。

車で帰る友人を後にして、式場を出た。
お腹は少し食べ物を入れたので、余計空いてしまった。
回転寿司の気分じゃないし、ラーメンやイタリアンの気分でもない。
家の近くのスーパーで握り寿司を買おうと思った。

地下鉄の入り口を見つけた。
改めて周囲を見回す。
紫色の夜を背に、新宿辺りに林立する高層ビル群の灯かりが点いていた。
もう、8時ごろ。

地下鉄を乗り換えて、始発の電車に乗った。
席に座ると 自然に現在と過去が行き来する。
過ぎ越し方、行く末、など。思い煩わずにはいられない。
何が悲しいのか、自分でも分からないのに、目蓋が濡れる。
帰りの電車は、各駅停車のようにガタゴトととても遅く感じられた。



ある日、ネット配信のニュースの紹介文が出ていた。
その時、「死ぬことは、生まれる前にもどるだけ」という
言葉がさりげなく書いてあった。
死ぬことは生まれる前に戻るだけって?
以来、その言葉を信じて生きたいと思うようになった。
そうだったら素敵だな。


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