写真を整理していたら昔の写真がたくさん出て来ました。
大正14年から始まり、私の生まれた直後の昭和の15年頃の
写真までをご紹介します。
古い写真を、その上から撮ったので、
綺麗では有りませんがお許しください。
この写真の台紙の裏には
「大正14年1月6日 育ててくれた母と。」
下谷区中根岸93番地
と書いて有りました。
今の上野駅近くだと思います。
私にとっては義理の祖母です。
生みの母は小さい頃に亡くなったそうです。
大正2年生まれの母は当時12歳ということになります。
裁縫学校時代の母 (左から2番目)
掛け軸の絵を覗き込む母方の祖父
職業は経師屋
新婚(?)の父母
母の肖像
雛祭り(本所にて)
左から父方の祖父、父に抱かれている生後5ヶ月の私、母
昭和15年頃の乳母車(本所にて)
私の入浴写真
つくづく、時代の変遷を感じさせる写真です。
このころ大東亜戦争から太平洋戦争に突入し、
第2次世界大戦と呼ばれる悲惨な戦争に
拡大して行ったのです。
でもまだこのとき内地では、戦争前夜の静かな時間を
過ごしていたようです。
変わるので・・・
過分なお言葉、お恥ずかしい限りです(^^;
プロフィールの写真は色つきの遠近両用の
大きなメガネを掛けて変装している
つもりなのですが。
kkさんも美人でいらっしゃるし
娘さんも美しい方ですね。
やはり遺伝なのでしょうか。
羨ましいかぎりです。
思わず目頭が熱くなりました。
亡くなった父を恋しがる日も、陽差しの中で麦を
踏んでいた少年時代を懐かしむ日も有ったのだと。
他にももう一句、ご紹介させて下さいね。
父の母は若くして亡くなったそうです。
「美しい人だった」と聞いたことがあります。
幻の 母の瞳に泣き 衣更え
大人になった男の人でも、自分の母を恋うて、胸が
いっぱいになる日もあるのかと父を思ってこちらも
胸が一杯になりました。
ありがとうございます!
着物といい、結髪といい
日本の古き良き時代を見せていただき感激です♪
それから、お父様が詠まれた、歌。
ご自分のお父様と、農の営みを誇らしく思う気持ちが
ひしひしと伝わってきます。
幸せな親子関係が、感じられます。
見付かると思いますよ~。
必要にならなければ見えないものなんですよ。
こういう写真って。
見たくなったらいつでも見れますって!
私もこの歳になったからこそ、大事に次の世代に
引き継ぎたいと思うようになったのです。
だから大丈夫です。
新しい思い出を作り続けてくださいな。
見事なくらい持っていました。
父方の祖父は四国の善通寺市なので、「父の俳句」にも有るとおり、農家だったようです。
父が、亡くなった自分の父を偲んで歌った俳句を改めて紹介します。
一握の 新米に祖を かへりみる
太陽に 麦踏めば父 よみかへり
陽に抱かれ 麦踏む幸を 誰に告げむ
実家の写真はどうなっているのか? 心配です。
どこにも ないかも・・・。
曾おじいちゃん・おばあちゃんは 見たこともありません。
祖父母の 若かった頃も 見たことありません。
両親の 子供の頃の写真も・・・。
あるのかな~。 見てみたいな~。
粋な雰囲気が漂うお写真ですね。
セピア色の写真もいいですね。