ばーばの独り言

愛する娘へ。孫と過ごす喜びと身辺の出来事

☆ 翼をください

2007-03-05 01:01:23 | 孫・家族
日曜日の夜11時頃、テレビの12チャンネルで
密着・テノール歌手秋山雅史の千の風熱唱 と出ていました。
NHKや他の局でも彼が取り上げられる番組が多いですが
今日はその中に彼のコンサートの場面がありました。
「翼をください」を歌っていました。
身を乗り出して聴きました。

この曲、ずっーと前におぼろげに聴いたことはあります。
調べると1972年(昭和47年)グループ「赤い鳥」
が歌った村井邦彦の曲だそうですが
私の記憶にはっきりと残っているのは
孫のクーくんが歌ってくれた曲としてなのです。

2005年の9月の終わり頃、うちにお泊りに来たときに
彼が寝床の中で優しい声で歌ってくれた曲。
日本の昔話を読んだ後に、孫の背中をすりすりと
撫ぜていたら
「ばーばね、学校で歌を教えてもらったの。」と言って
お布団の中で声をひくめて歌ってくれました。
それがこの歌です。
優しくて澄んだ声だけど、とっても寂しげだったので・・・


翼をください

1.いま私の願いごとが
  かなうならば翼がほしい
  この背中に鳥のように
  白い翼つけてください

   この大空に翼をひろげ
   飛んで行きたいよ
   悲しみのない自由な空へ
   翼はためかせ
   行きたい

2.いま富とか名誉ならば
  いらないけど翼がほしい
  子どものとき夢みたこと
  今も同じ夢に見ている

   この大空に翼をひろげ
   飛んで行きたいよ
   悲しみのない自由な空へ
   翼はためかせ行きたい

    この大空に翼をひろげ
    飛んで行きたいよ
    悲しみのない自由な空へ
    翼はためかせ
    行きたい

今この子は「翼をください 悲しみの無い自由な空へ飛んで行きたい」
と思っているのだと、涙をポロポロこぼしそうになりましたが
危うく踏みとどまり、まだ小さな身体を思いっきり抱きしめました。

「ビリーブも教えてもらったんだよ。」といってもう1曲

ビリーブ

1.たとえば君が 傷ついて
  くじけそうに なった時は
  かならずぼくが そばにいて
  ささえてあげるよ その肩を
   世界中の 希望をのせて
   この地球は まわってる
   いま未来の 扉を開けるとき
   悲しみや 苦しみが
   いつの日か 喜びに変わるだろう
   アイ ビリーブ イン フューチャー
   信じてる

2.もしも誰かが 君のそばで
  泣き出しそうに なった時は
  だまって腕を とりながら
  いっしょに歩いて くれるよね
   世界中の やさしさで
   この地球を つつみたい
   いま率直な 気持ちになれるなら
   憧れや 愛しさが
   大空に はじけて耀(ひか)るだろう
   アイ ビリーブ イン フューチャー
   信じてる

   今未来の 扉を開けるとき
   アイ ビリーブ イン フューチャー信じてる

自分に言い聞かせるように、
あるいは静かに呟くように歌っていました。

私はこの孫の感受性の豊かさに呆然とし、
彼の深い悲しみに呆然として聴いていました。

彼の弟(私の下の孫)がその年の8月に逝ってから1ヵ月半。
何とかこの子を慰めたい暖めたいと必死に思ったものでした。

その彼ももうすぐ3年生になります。
随分大きくなり体重も増えて肥満にならないかと
今度はそっちの方の心配もしています。

逞しくなったけれど、心はとてもナイーブ。
2年生になってもうちに来て1時間もすると、だんだん表情が
ファ~ンと甘え顔になります。

彼も学校にいるときの顔や、友だちと遊ぶ時の顔
親といる時の顔、とさまざまな表情を持っているのでしょう。
でも家で見せてくれるフア~ンの甘ったれ顔が
相変わらず嬉しいばーばなのです。








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2 コメント

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Unknown (うらら)
2007-03-05 18:07:32
おばあ様のお役目をシッカリ、そして自然にされているkkサンの愛情が胸キュンと迫ります
何時までも、この世の中で一番の大きな溢れるほどの愛情で包んでいてあげて下さい
チョット自分の事を思い出しましたけど祖母の愛情はそれなりに感じていましたが、両親の防波堤にはなって貰えなかった私はチョット淋しかった、それはそれで良かったのでしょうが・・・難しいものですね
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Unknown (kk)
2007-03-06 00:06:08
孫が生まれた後から自然に関わるようになって、爺婆の家にいる時間が多くなると自然に愛情も深まりました。それが幸か不幸かはわかりませんが(笑)
多様な価値観の中に居るのも良いのじゃないかと勝手に思っています。
うららさんはお祖母様の記憶があるのですね。私の祖母はもう亡くなっていて3歳ごろ祖父と少々のあいだ同居した、といった程度の思い出です。昔は平均寿命が短かったですから。
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