ばーばの独り言

愛する娘へ。孫と過ごす喜びと身辺の出来事

☆ 孫とばーば うつり変わり

2008-10-25 20:12:12 | 孫・家族
週末、このところちょっと寂しい。

今年の初めに、市の録音ボランティア養成講座を受ける事に決めた。
昨年から「ボランティア養成講座」の存在は知っていたのだが
その講座は春か夏かに、何週間か連続して土曜日の午後
開かれると知っていたので、私が昨年応募するのに
踏み切れなかったのだ。

何故かというと、孫が毎週のように金曜日の夕方から爺婆の家に来る。
2泊して日曜日の夕飯を食べた後、親に迎えに来てもらう。
そんな生活が多かったからだ。 昨年はまだ孫を手放せないと思った。
息子の家にも、私の所にも、いろいろ重い事情があった。
何の為にそういう事になったか、今はもう、ともすれば忘れそうになるが
それは一級の障害児だったクーくんの下の孫を間接的にサポートする為と、
大事な2人を失った後に、残された者が生き延びる為の手段だった
のだろうと思う。
17日、息子の家に留守番に行った時、クーくんのママのお母さんからの
手紙が壁に貼って有るのを見た。
「8歳になったタッチュンへ」という書き出しだった。
9月24日は下の孫の誕生日だった。思わず涙した。


しかし今年はもうそろそろ孫も私も、其々の道を見つけなければ
ならないのは分っていた。

で、今年の3月に孫に伝えた。
「ばーばは6月か7月の土曜日にしばらくお勉強しなければならないの。
 そのあいだ、クーくんに会えないけど良い?」
その時期には未だ市の正式な募集は発表されていなかった。

「えっ、いつ頃なの? 6月か7月ね。 
 うん良いよ。 ぼく我慢するよ。」
と可愛い事を言ってくれた。

すると次の週の金曜日の午後、孫から元気な声で電話が掛かって来て
「今から行って良い!?」

3月の26日に足を骨折したからということもある。
骨折した後にクーくんが初めて来たとき、
「ばーば、ぼくが結婚して子どもが出来たらお守りして貰うから
長生きしてね。」だったので爆笑してしまった。
息子はクーくんをばーばのお手伝いとして派遣してくれたのだ。
「オレの代わりに」と言って。

それから毎週几帳面に金曜日の夕方来て、日曜日の夜帰る生活が始まった。
今迄は毎週の「ように」だった。
時には1週間おきとか、2週抜けて3週目に来るとかだったのに、
今度は熱心に毎週現れるようになった。
私は大いに嬉しかったが、内心目を丸くしてこの子は何を考えているのだろう?
と驚いていた。

私が骨折して自分の足で歩けるようになるまで
本当によくお手伝いしてくれた。

私が日常生活が出来る様になると、家に来て孫のすることは甘える事と、
プレステやWiiのゲームをインターネットの攻略サイトを見てすること。
それも私を座椅子替わりにして寄り掛かりながら(デレッ!)

のんびり寝転がって本を読むこと。
500円玉をクーくんの為に貯めておくと、それを持って
いろいろなカードをコンビニに一回買いに行く事。
ばーばとカードゲーム対戦をやって一方的に勝つこと。
夕飯に一度は必ず「すき焼き」を食べる事。
精力的に4コマ漫画をいくつも描いて、私を大笑いさせてくれる事。
(漫画に描かれる人間はカナクギ流だがストーリーは面白い!)
たまに夜、百人一首をすること。温水プールに一緒に行く事 など・・・

ま、厳しく叱られない環境を楽しんでいる。
休養にやって来ているといった感じかな。

で、市の養成講座の発表が5月の中旬にあり、4月からは7月の5日(土)の
講座が始まるまで、用事が無い限り孫は一日も欠かさず週末は我が家にお泊り。


いよいよ、7月から3週連続土曜日午後からの総合講座が始まり、
新しい体験に 喜んだり、ガッカリしたりしながら参加。
少々欝っぽくなりながらも、なんとか総合講座終了。

後は9月2日(火)からの録音ボランティアの講座を待つばかり。

ところが7月末に講座が終わっても、心待ちしていた孫は中々現れなかった。
如何したのかと心配したら、いつの間にか少年野球に入団したという。
野球はユニフォームにお金が掛かるから、と「スパイク」を割り当てられ
もちろん入団祝いに払いましたとも!

8月に一緒に軽井沢に旅行した時、
「ぼくね、7月に「ドラベース」という漫画読んで野球やりたくなったの。
 野球やったらメタボが減ると思ったんだ。」
「う~ん、そうだね~。 身体が引き締まると思うよ。」と私・・

夏の旅行の間は相変わらず、爺婆には甘えっ子のクーくんだった。
夏休みは、何とか爺婆の家にも来られたが、学校以外の土日祝の
朝9時から5時まで、すべて野球の練習の生活になってしまって
ばーばは孫の為には「これで良いんだ。」とホッととしつつも
寂しさをかこっている。

3年生までは幼い感じが抜け切らなかった2月生まれのクーくんだけれど、
4年生になった今では、レッキとした少年になった。
うっかりすると舌鋒鋭くやっつけられる時もあり・・ ふくざつ!

3月から6月いっぱいまでの異常に熱心な爺婆の家通いは
この日が来るのを無意識に予想しての事なのかと
成り行きの自然さに納得しながらも、未練がましいばーばはふくざつ!

でも、この頃の子どもは身体能力が失われていると言われている現在
少年野球で反射神経や運動能力も養えるのはいいことだ。
朝9時から夕方5時まで練習する体力も身に着いて来たようだし
同じくらいの年齢の子と集まれるのは嬉しいようだが
欲の無い子なので「ガッツ」などは当分期待できそうにない。

クーくんには違う学校に行っている大事な同い年の友達がいる。
その友達も、クーくんが少年野球に入った直後くらいに
「バスケットボール」のチームに入ったそうだ。
バスケの方は平日の朝錬もあり、土日は朝8時から夕方6時までだそうな。
それに比べて「ぼくの方が少し楽かも」と自分を慰めているようである。

ばーばの方も月木と短時間ながらお仕事を請け、火曜日午前中の
録音ボランティアの勉強も大事なところに入っている。


ま、孫離れは気持ちの上では出来ないが、
人生この歳になれば今の自分に出来る事をボチボチとだね。






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2 コメント

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Unknown (オールドレディー)
2008-10-26 10:13:58
どこの家庭にも色々と事情があるもので、表から見るだけでは分かりませんね。
独り者から見ればツレアイさま、子や孫がいて、時には日々の煩雑さに悲鳴を上げながらも充実しているだろうと思えるのですが、家族がいればそれなりに気苦労もあるのですね。

お孫さんが成長してババ離れした寂しさ、喜ぶべきだと分かっていても複雑ですよね。お察しします。
でも、たくましくなって本当にババの力になってくれる日も遠くはありませんよ。
これからはご自分のお仕事、趣味、ボランティアに頑張ってください。
ばーばが元気で張り切っている姿を見たらクー君も喜んでくれると思いますよ。
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オールドレディーさんへ (ばーば)
2008-10-26 14:36:45
>どこの家庭にもいろいろ事情
そうですよね。 
それぞれの事情をみんな抱えながら生きているのですよね。
愚痴は並べたらキリが無いですが、なるべく(今を一番)と考えて行こうかなと思うことにします。 家族はとてもありがたい存在ですが、心配も切りなく発生しますので、なるべく考え過ぎないようにと自分に言い聞かせております。
孫の成長が楽しみですが、成長すれば又それなりに悩みも大きくなるなど取り越し苦労していますが、自分も退化しないように新しい何かを身に着けようかと思っています。
そう、レディーさんの仰るとおり、爺婆が元気で張り切っているの姿が、周囲にとっては一番の安心ですよね!
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