関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

時代は変わる

2011年09月08日 | 日記
今日の毎日新聞夕刊をみておどろいた。
「東日本大震災:生活の場失ったのに…商店主に義援金なく」
という見出しが目に入ったのだ。
しかも1面トップ記事だ。
16年前の阪神・淡路大震災の時、
私たちは店や工場を失った中小業者たちが、
そのことでどんなに悔しい思いをしてきたか、
知っている。
もちろん、当時から義援金だけでなく、
さまざまな救援策を、事業者に適用す
るよう要望を繰り返してきた。
しかし、そのことを肯定的に報じた
マスコミ・商業紙は皆無だった。
事業用資産は、見舞いの対象でも
公的支援の対象でもないとの見解だった。
後に「生活再建支援法」として
個人住宅の再建には「補助金・支援金」
が出る仕組みが作られたが、
兵庫でそれを求める運動を起こした時、
その運動主体だった「阪神・淡路大震災
救援・復興兵庫県民会議」の場で、
公的支援の要望には店舗・工場も対象に
すべきとの議論を行い、
「住宅・店舗への支援を」のスローガンが確立し、
87万票が寄せられた住民投票運動などが
大きく進んだことが、思い出された。
それでも、政治と「世間」は、
店舗や工場への支援にまで振り向かなかった。
それが、東日本大震災では、商業新聞の1面トップで、
見舞いや支援の対象にならないのは
オカシイという論調で報道されているのだから。
時代は、確実に変わっている。

今日も帰りは遅くなった。

写真は職場から見える夜景

《どじょうと松下政経塾》

2011年09月08日 | コラム
#59=2990
2011年9月12日付
《どじょうと松下政経塾》
 どうにも「どじょう」が引っかかってすっきりしませんでした。8月29日の民主党代表選挙で野田佳彦氏が発した「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」の言葉です▼相田みつをさんの詩作にまで言及するつもりはないのですが、気になるのは野田氏が自分をドジョウに見立てたことです。確かにドジョウは庶民を象徴する存在でしょう。しかし、早稲田大学政経学部卒で松下政経塾第一期生の野田さんが口にすれば、それは過剰な卑下というものですよ▼彼は本当の庶民や自己責任論で「負け組」を自覚させられている若者たちなど理解できていないのでしょう。代表選出後に語った「ノーサイド」の言葉も含めて、目の前の民主党の国会議員ぐらいは視野に入れて、磨いてきた弁舌の麗句と自虐の言葉で反論を封ずるといったところでしょうか。その先は「財界のための庶民増税」のオチです▼ちなみに松下政経塾は、松下電器創業者の松下幸之助氏が開いた政治家・経営者を育てる私塾で、毎年約200人応募で数人の合格。現役塾生は9人。無料で4年間研修だそうです。これまで248人が卒塾。塾是には「真に国家と国民を愛し」とあり、国民より国家が先にきています▼政治の世界ではなるほど新参者でしょうが、庶民の感覚ではありません。

この夏はけっこう忙しかった

2011年09月05日 | 日記
ずいぶん久しぶりの日記になってしまった。-約1か月ぶり。
7月終盤の名古屋の研修会。
8月はじめは、旅行。
そのすぐ後に長崎での原水爆禁止世界大会。
盆休みには、故郷への帰省。
帰ってきたら、滋賀県へ学習会の講師。
などなど
次から次へと移動の夏だった。
さすがに老いを感じてしまう。若い頃、山を歩き回ったあの夏のパワーはどこへいったのだろうか。なにせ疲れがとれない。

8月12日の夜に西宮に帰宅して、翌日家族4人で車に乗って生まれ故郷の奥出雲・亀嵩へ。
途中で花と線香を買って、ついたらすぐに墓参り。先に来ていた兄たちとはすれ違いになったが、なんとか田舎の夏をすごせた。
名物の亀嵩そばにありつき、割子とかま揚げの二人前をぺろり。
亀嵩温泉にもつかり、お寺さんのお参りも迎えることができた。
翌14日には、90歳の叔母さんにも会うことができたし、かなり充実の二日間であった。去年は一人で帰り同窓会の後、熱中症になったことを、思い出してしまった。

写真は、亀嵩そばの店(扇屋さん)。
木次線亀嵩駅の駅舎のなかで営業。
駅そのものは無人になっているが、蕎麦屋さんとして有効活用。
路線には今もトロッコ列車も走っており、ちゃんと駅の機能も果たしている。


次の写真は、わが故郷の墓所から見た「玉峯山」と
その麓にある亀嵩温泉・玉峰山荘


その玉峰山荘から見た旧亀嵩村の風景が下の写真
右手のこんもりした森が「湯野神社」(松本清張の「砂の器」にも出てくる)


8月20日は学習会の講師で、滋賀県・雄琴温泉へ(写真)

一時間あまりの講師だったが、久しぶりに大勢の前でしゃべったので要領がわるく、「トツトツと語る」ので精いっぱいだった。

8月26日は、職場での「原水爆禁止世界大会の報告会」

8月27日は、日比谷公会堂でのTPP(環太平洋経済協定)反対集会に参加。
集会後、銀座方面のデモにも参加してきた。


今週末は、神戸での学習会に参加してくる。

《原発にさようなら集会へ》

2011年09月05日 | コラム
#58=2989
2011年9月5日付
《原発にさようなら集会へ》
 3・11大震災・大津波・福島第1原発事故から半年になろうとしています。行政の復興計画が不鮮明なために、多くの中小業者が営業と生活再建の計画さえ立てられない現状にいらだちます▼政権党は懲りずにまた首のすげ替え騒動。被災業者は返済猶予などが打ち切りになる時期だけに、一人ひとりの問題を具体的に相談できる対応が必要です▼中でも心配なのは、いまだ収束と除染のメドも立たない原発・放射能災害です。避難者が「難民」になってしまうおそれを感じています▼原発推進派からの「まき返し」が激しい。電力不足・景気衰退試算など、検証困難な指標で原発再開必要論がマスコミにばらまかれています。「菅おろし」も「原発ムラ」と呼ばれる利権でつながる人たちの策動だったと思えます。経産省出身の北海道知事は泊原発3号機の営業運転を認めました。これを突破口に、各地で運転再開するのが狙いでしょう。こんな策動は許せません▼全国各地で「原発ゼロ」を求める行動を急速に広げる必要があります。9月19日には東京・明治公園で、内橋克人さん、大江健三郎さん、瀬戸内寂静さんなど9人が呼びかけた「原発にさようなら集会」も行われます。一人ひとりが立ち上がり全国から大波を起こしましょう。

写真は〈奥出雲町・鬼の舌震(おにのしたぶる)渓谷の奇岩〉
はんど岩(「はんど」とは、大きな水瓶のこと)