関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

《金環日食》

2012年05月24日 | コラム
#93=3024
2012年5月28日付
《金環日食》
 21日午前7時32分、東京・豊島区の全商連の建物から「金環食」を見ました。月の軌道が太陽と地球の間の直線上を通り、縁だけ残して月が太陽を隠し、空に輝くリング(金環)を浮かび上がらせる壮大な天文ショー。雲りでしたが人間がつくれない美を見ました▼隣の学校では早朝登校で校庭に集まった生徒たちが、歓声を上げ、周りのビルの屋上にも鈴なりの人垣、通勤の人も歩きながら観察グラスをかざしているなど、九州南部から関東にかけて広く観測されただけに、社会現象にもなったようです▼筆者の日食観察は3回目。2009年7月、奄美群島での皆既日食を淡路島で部分日食として見ました。そして小学生のころ、初めて部分日食を見ました。色つき下敷を使ったのですが、今ではこれは厳禁。いわゆる「ピンホール投影法」を兄から手ほどきされたことを思い出します▼金環食といえば、1975年の映画『金環蝕』(山本薩夫監督・石川達三原作)も思い出します。きらびやかなリングの内側には腐った膿が黒くよどんでいるという政界の内幕を暴いた趣旨だったと思います。消費税増税に固執する野田政権を取り巻く政官財の腐敗と暗躍を暴露して欲しいものです▼日本での次の金環日食は2030年6月に北海道で観察できるそうです。

〈雲の隙間からの日食の太陽〉

太陽の右上に、雲に映った日食の影があるように見える

《日本玩具博物館》

2012年05月17日 | コラム
#92=3023
2012年5月21日付
《日本玩具博物館》
 全国商工新聞の第8面に連載が続いている「おもちゃの世界」。日本と世界の玩具の成り立ちや地域文化との関わりなどが詳しく解明され読者にも好評です。その連載をお願いしている日本玩具博物館を訪問し、館長の井上重義さんにお話を伺ってきました▼兵庫県のJR姫路駅からローカル線で北へ15分、姫路市香寺町の博物館は、1974年井上さんが自宅の一部を展示館にして出発。以来37年、「個人立」としては例を見ないといわれる充実と発展によって、玩具文化を語るには欠かせない存在となっています。「玩具や人形は単なる遊び道具ではなく、教育・文化・風俗・美的感覚が凝縮した文化遺産であり、大人社会が忘れ去ったものが子どもの世界に残っている」とは井上館長の言葉です▼そして今回改めて感嘆したのは「ちりめん細工」の復興活動でした。着物などに使った縮緬の切り裂きを縫い合わせ、花や動物、人形などを作るのですが、いつしか廃れていました。それを、博物館として研究会を組織し、手引きの出版、講習会などで広め復興したそうです▼その過程で、すでに製造されなくなっていた素材の「明治の二越縮緬」の再現をめざし、丹後の織り元と共同で製品化したという話には、文化と地域産業の展望を見た思いがしました。

〈惣河谷(宝塚)遡行・1984年〉

滝横の岩壁に挑む

《女性の起業》

2012年05月13日 | コラム
 
#91=3022
2012年5月14日付
《女性の起業》
 「女性の起業は、社会の新たな需要を掘り起こし、女性就業の課題解決や社会進出につながり、好循環を生み出す可能性がある」▼4月末に発表された「2012年度版中小企業白書」での女性事業家についての記述です。就業構造基本調査(総務省・2007年)では自営業の起業は年間22万人、その内女性は7・8万人となっています。全体として男性より数歳若く開業し、その分資金や就業経験が乏しいといわれています。さらに比較的小規模で開業(89%が従業員ゼロ)と分析されています▼注目されるのは、「起業時に欲しかった支援」への回答です。第1位は「同じような立場の人(経営者等)との交流の場」(35%)であり、「仕入先や販売先の紹介」(29・1%)を大きく上回っていることです。男性の場合は順位が逆転しています。白書では、相談に乗り、助言を与えてくれる同じ立場の人々との交流や意見交換の場が「女性が起業の課題を克服する上で、重要な役割を果たす」としています▼白書の指摘を生かす場は、民主商工会こそふさわしい。交流や意見交換の豊かな実績があります。本音で語り合え、長い商売人生の経験も学べる格好の条件が備わっています。社会の好循環に向け、女性起業家への働きかけを強めたいものです。

〈写真は京都駅ビル〉

バブルの遺物のような建物だが、夜になって向かいの京都タワーが映っているところ

「妖怪」にわく境港

2012年05月05日 | 日記
5月4日昼すぎには、亀嵩を後にして帰路に着く。
まずは、峠を越えて比田から広瀬、安来、米子へ出る。
比田の道路が格段に良くなっていた。
米子で少し道に迷い、境港をめざした。
水木しげるの出身地で、ゲゲゲの鬼太郎をはじめとする妖怪キャラクターで町おこしをしているという。実際に見るのは初めて。
途中でまずびっくりしたのは、
夜見が浜半島を北進する左手に「米子鬼太郎空港」の看板・・・。
いつから「妖怪」の玄関口になったのか?

JR境線の境港駅から「水木しげるロード」(約800m)を歩いていく。
境港駅は、港町の終着駅の風情があり、それらしい哀愁のなごりがある。
しかし、ごった返す観光客で、観察する気にもならなかった。

〔水木しげるロードはこんな感じで混雑〕


〔道路の両側の各所に妖怪のモニュメント〕


元々は港町の商店街だったのだろうが、何せ地域ぐるみ「みやげ物屋化」している。
どこでも、携帯での記念撮影の順番待ち・・・。
案内や整理に精を出している皆さんのモノゴシや口調に、「町おこし」への意欲を感じ、自治体が率先して観光を売り出そうという姿勢は感じる。

ただし、その「ロード」から一歩外れるとこんな感じの家並になる。
〔境港の元歓楽街?・・パチンコ屋さんのある風景〕


元々の境港はどんな町だったのか。周辺を歩いてみた。
かつて中学生の時、亀嵩の山奥から自転車でやってきて、境港大橋を渡り、島根半島から松江方面をサイクリングしたときの、潮の香りが私の第一印象だったが。

〔大港神社〕

漁業と海運の要衝としての象徴。
全国各地の船乗り連中から様々な寄進があったと説明書きがあった。


〔境港漁港の漁船〕

これは蟹漁


これはイカ釣り船


漁船の上を境港大橋がかかっている


これらこそ境港の本当の地域資源なのだろう
確かに鮮魚センターなども大流行のようであり、今後の町づくりには、妖怪だけではない工夫があるのである。
それでも、周辺は閑散としていた。

ご近所の景色

2012年05月05日 | 日記
5月4日も雨が続いていたが、小止みになる隙に家周りの草取り。
墓にも線香だけあげにいけた。
ついでに、裏の尾根(丘)にあがり、周囲をパチリと「激写」。
雨模様の景色になった。
〔尾根の元畑〕






〔眼下に見下ろす屋根〕


子どもの頃のと比べ、自分のサイズが大きくなったので、目線が違う。
だから、違う風景に思えてしまう。
しかし、とにかく新緑が美しい。

〔墓所から見た「玉峰山荘と水田」〕

正面の建物が「玉峰山荘」
その前に、田植えを待つ田んぼの水面が光っている。

〔同じく城山(玉峰山の西方)〕

上部には平たい場所が何段にも重なり、立派な山城の形が出来ている

手前の新緑が萌え上がっていた。

〔ついでに墓所も一枚〕