関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

西宮砲台と今津灯台

2016年05月15日 | 日記


(香櫨園浜の西宮砲台跡)

5月4日(水)本当に久しぶりに香櫨園浜へ行った。
大阪湾岸ではめずらしく砂浜が残っている。
浜の小さな松原には、親子連れやグループが
テントや椅子を持ち込んで、
焼き肉など楽しんでいる光景が広がっていた。
埋め立て地との間の水路では、
ウインドサーフィンや水上スキーが繰り広げられている。
平和な光景だ。
 


幕末につくられた砲台跡を眺めた。高さ17mぐらい。

外国からの攻撃に備え、幕府によって各地につくられたそうだ。
設置場所は、勝海舟が計画し、
大阪湾岸では和田岬、舞子、今津などにつくられたが、
現存はこの香櫨園浜のみであるようだ。

ただし、試射したところ砲台の中は煙にまみれ、
連射どころではなく使い物にならないことが
分かったと説明書きに記してあった。


(旧今津港の灯台)

ついでに、今津浜にも行ってみた。
ここは、海岸はすべて人工のコンクリート。
ここにも砲台がつくられたそうだが、
明治以後、早々に取り壊されたと看板があった。






「明日を決めるのは私たち」5・3憲法集会

2016年05月08日 | 日記

(東京・有明防災公園)

5月3日(火)
江東区の有明にある防災公園で行われた
5・3憲法集会に参加。5万人だった。

参議院選挙に向けて、
野党4党首がそろって挨拶するなど、
画期的な集会となった。
この日は、全国各地で100か所以上の
憲法集会などが行われており、
10万~20万人ほどが行動した模様である。
集会後、有楽町でビールを一杯、
その後、新幹線ひかり号で西宮に帰宅。

伊香保温泉

2016年05月08日 | 日記

(伊香保温泉から赤城山を望む)

4月30日(土)は、ひと寝入り後、義父の卒寿祝いをする伊香保温泉に移動。
初めて行ったので、有名な石段などを一人で散策した
 

戦国時代に温泉場として開削され、急傾斜に湯樋を通し、
その後石段が整備されたそうだ。


(今は、街の裏に、こうしたパイプで温泉が配られている)

石段の両側に土産物屋・射的場などが並び、独特の温泉街風情だ。
高いところの温泉宿の裏には、こんな小道もあった(写真↓)



明治期には、ふもとの渋川から電車がつながっていたようだ。
その駅あと、復元レールが展示されていた。

 

その先には、そこに鉄軌道があったという小道も残っていた。

5月1日(日)は朝早く出発し、東京・代々木公園のメーデーに参加。


倉敷民商弾圧事件の勝利めざす全国連絡会結成

2016年05月08日 | 日記
4月24日(日)
倉敷民商弾圧事件の勝利をめざす
全国連絡会の結成総会に参加した。
北海道から鹿児島まで、
全国からの参加者は105人。
不当な起訴とたたかう2人の被告の訴えもあり、
無罪獲得への運動を意思統一した。
今後の争点は、申告納税制度と税理士法の関係だ。
自分で申告することを目的に結成され、
助け合いの自主計算を進めている活動が
結社の自由にもとづく権利であることを
主張することとなる。
対して、税理士法の業務独占規定が
結社の自由を侵すことが適法かどうかが争われる。

4月27日(水)先日遭遇したN浦さんが呼びかけ、
これまた大学の後輩であるN浦さんの奥方と
京都から会議で上京しているI田さん、
東京で某新聞記者をしているA部先輩が、
夕方から八重洲口方面で小宴会。
小宴会のはずが、ついつい飲みすぎてしまったようだ。

4月29日(金)は倉敷事件の弁護団会議に参加。
朝早く新幹線で岡山へ。
会議終了後、西宮の自宅に帰り、
そのまま車で家族3人で500㌔の大移動。
夜中のドライブとなった。
途中、先日見物した下諏訪の木落としの坂を
横目でみながら、佐久で一休み。
翌朝、高崎へ到着した。

あの町この町 日が暮れる

2016年05月08日 | 日記


(『あの町この町』作詞:野口雨情、作曲:中山晋平)

4月17日(日)神戸のいつもの店で散髪


(目白通り)

4月20日(水)朝から国会方面。
昼の集会に参加していたら、学生時代の後輩(N浦さん)に遭遇。
福祉保育労働組合の幹部だそうだ。再会を約束した。

 

(新宿駅南口方面)
4月23日(土)上京したI川教授と新宿で小宴会。
S岡氏、T村氏に一緒に参加してもらった。