関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

憲法を守れの集会に参加

2014年09月04日 | 日記
日比谷野外音楽堂の集会に5500人(9月4日)


9月1日に胃カメラを呑んだ。
毎年毎年、もう何十回になるだろう。
鼻から細いコードだったので、今までで一番楽な診察だった。
古い潰瘍の痕は依然として残っているが、
新しい異常は見当たらないそうだ。

9月4日(木)
日比谷野外音楽堂で集会
「戦争させない・9条壊すな 総がかり行動」


小室等氏の歌に、落合恵子氏の語りなど
個性的なタレントの参加もあり、
集まった5500人の「集団的自衛権行使容認」は許さないという熱気があふれた
日本共産党の志位委員長は、
消費税や原発などあらゆる分野の一点共同の広がりも総結集して、
安倍政権を打倒しようと呼びかけた。
これが最も実践的な行動提起だった。

明日から3日間、都内で泊まりがけの会議だ

出雲そば、おばさん  さらに鹿児島へ

2014年09月02日 | 日記
8月14日(木)は、奥出雲・亀嵩へ帰省
夕方 田舎の家に着いたが、
F子さんが掃除機をかけようとしたら、
その中から今度はネズミの赤ん坊が飛び出し、
座敷の中を走り回るという騒動になった。
それも次から次と5匹。
誰もいない空家の中で掃除機の
ごみ袋の中に巣をつくっていたようだ。
大騒ぎで座敷から追い出して、玉峰山荘へ風呂に行く。
8月15日(金)は朝あら雨だったが小降りをねらって墓参り。
近所の親戚にあいさつにいったが、
そこで同級生の綾ちゃんの死去を知らされた。
乳がんだったそうである。
冥福を祈る 合掌

三成の「吾妻そば」で旨い釜揚げと割子そばで昼食(写真↓)



その後、阿井のおばさんに会いに行った。
夏代おばさんは93歳。
歩くのは出来るが基本的には
ベッドで横になっている毎日のようだ。
話は、依然としてシッカリ。たいしたもんだ。
話ができたことだけでも今回の帰省の意味が大いにあった。

ところがさよならをして、車を出そうとしたら
出口の田んぼとの境目に見事に左前輪を脱輪してしまった。
みんなが押してくれたので何とか脱出できたが、
なりの悪いことであった。
それでもわが愛車(F号)が4WDだったので
後輪の力が働いてみんなの力で脱出できたのだ。
買うときは高くついたが救われた。
F井家は、親戚の子どもたちも挨拶に来るなど
なかなか忙しそうだった。
T春ちゃんはかわいい子ども連れだった。

この日、岡山方面から吉報が一つ入った
8月16日(土)に上京した。

8月20・21日と鹿児島へ出張(写真↓夜の鹿児島空港管制塔)


夜鹿児島空港に着き、徒歩で「かごしま空港ホテル」に宿泊。
翌朝から用事を済ませて、夕方の便で伊丹空港へ、そのまま西宮へ帰った。
(写真↓ホテルから見た滑走路)


8月22日(金)は、神戸のいつもの理髪店で散髪。
翌日から、兵庫県立大で行われる夏期研究に参加。
24日夕方、東京へ帰った

野麦峠で親子熊に遭遇

2014年09月01日 | 日記

〈野麦峠の看板↑)

8月12日(火)は、高崎へ移動し、翌朝から夏休み。
88歳の義父は暑い中、畑から野菜をどっさり採って来てくれ、車に積んでくれた
8月13日(水)朝から車で西宮をめざす。
軽井沢・佐久を越え、長野から松本へ一気に移動。
(写真↓日本銀行松本支店)


松本で信州そばの昼食。昔風の商店街(写真↓)を抜け、


〈写真↑松本市内:漆器屋の看板が面白い〉

〈写真↑信濃毎日新聞松本専売所〉

国宝・松本城を眺めた(写真↓)

〈写真↓ 堀に逆写しになった松本城〉


かねてから一度行こうと思っていた野麦峠をめざすことにする。
松本市内からまっすぐ西へ。
新島々を通り抜け上高地方面への道をたどるのだが、
途中のトンネル内で左に進路を変え、
車も少ない山道をどんどん奥へとすすむ。
古くから信州と飛騨をつなぐ街道だが、
それにしても山深い・・・
岡谷の製糸工場へ女工さんたちが雪の中を、
列を連ねて歩いたそうだが、想像もできない。
道はどんどん高度をあげ
いよいよ最後の峠道の分岐で一休みして旧道を写真にとってみた。

〈写真↑ 野麦峠への道:信州側から〉

峠は標高1600メーター、お助け小屋があった。
一気に飛騨の山なみが目に飛び込む。(写真↓)

小屋の周辺は駐車場やベンチなどが整備され
ゆっくり出来るようになっている。
そこから昔の峠への旧道があるが、その入り口に「熊出没注意」の看板。

ところが、駐車場の脇の草むらには 
立派な月の輪熊の親子がウロウロしているではないか。
柵もなければつながられてもいない。
3頭が仲よさそうに草を食んでいる(写真↓)。

〈野麦峠の親子熊〉

見物する人間たちとの距離は2~3メートル。
一瞬、数年前に乗鞍で観光客を襲ったツキノワグマ
の映像が脳裏をよぎったが、
なんともかわいらしい小熊の姿に、
わたしも次々とシャッターを押していた。

その後、峠の下からバリバリというバイクの音がして、
熊たちは深いささやぶの中へ消えていった。
野生の親子熊との同一空間体験は、
なんだか得をしたような気分になった。

長い峠道を下って高山へ抜けた。
高山からは、これまた古い街道を
長い時間かけて郡上八幡を経由し、
高速道路で西宮へなんとか帰ることができた。