関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

阪神大震災から19年、国会前に普通の人が来るようになった

2014年03月14日 | 日記
1月17日(金)
阪神・淡路大震災から19年の朝であった。
地元では、早朝(5時46分)から各所で追悼の集いが組まれている。
テレビでは、東遊園地の風景ばかりだが・・・。
来年は20年。「あれから何年、」と数え続けてきた年月だった。
しかし、あの時の記憶が強烈過ぎて、その後の記憶は、単純には時系列化できない。
19年の体験は、ほとんど全て「震災の後」という時間的区分の中でひとまとめになってしまっている。「何が先で何が後だったか」と自問すること頻りだ。
年齢による記憶力の問題なのだろうか、
それとも、まだ整理が必要な段階ではないのだろうか

(写真↓椎名町の夜景)


1月21日(火)
昼頃、メールと電話で 「今、新宿にいるのだが 」とK藤教授から連絡が入り、急きょ池袋で一席を設ける。ただし、お茶の水で夜の会議が入っており、その場への参入は8時半頃からとなってしまった。

1月22日~23日(水・木)は、泊まりがけで会議、熱海へ行った。
またしても、断崖にへばりつくような古い旅館風ホテル。
周りには、空洞になった巨大な建造物が増えていた。
そう思うと、このホテルもいつまでもつのやらと考えてしまう。
それでも、全国を代表する役員の面々と中小業者運動の現局面、課題、展望について、話し合うことができたのは大きい。

1月24日(金)
国会が開幕した。
12時からの請願デモ、13時半からの院内集会に参加し、消費税増税を目前にした中小業者の実情、増税反対の運動、3月13日の全国一斉行動や新聞意見広告について発言した。
この日は、秘密保護法廃止を求める大規模な国会包囲行動も行われており、そこには5000人が自発的に参加。国会前は騒然とした雰囲気になった。
安倍内閣の暴走が、破綻に直行する契機となればよいのだが・・。

1月28日(火)
全中連(全国中小業者団体連絡会)主催の決起大会が、日比谷公会堂で開催された。
当日は、午前中には8ヶ所の省庁との交渉も組まれ、そこへの参加者は前日から上京。その夜は兵庫からの参加者と交流の機会を得た。
決起大会の文化行事は、今年は「制服向上委員会」というアイドルグループから8人が出演。脱原発をテーマにした歌が参加者の共感を得た。しかし、中高生というメンバーが社会風刺の歌を楽しげに歌う姿に、若干の戸惑いもあったようだ。
大会では、都知事選真っ最中という情勢を反映して、宇都宮健児候補(弁護士)も来賓として参加、小池あきら、倉林明子の両参議院議員も駆けつけてくれた。しかし、やはり圧巻は、沖縄の名護から来た参加者だった。
先の市長選挙の勝利報告を力強く発言。最も大きな励ましとなった。
国会に向けての請願デモもシッカリ行われ、終了は4時であった。

1月31日(金)
S二兄がひょっこり上京。
新宿で待ち合わせて食事となった。

名護再び、初の二本松

2014年03月14日 | 日記
1月10日(金)から12日(日)まで、沖縄の名護市へ市長選挙の応援で出かけた。前回選挙の時は10日間泊まり込んでの活動だったが、今回は3日間、4年ぶりである。

10日は朝8時台・羽田発のANA便に乗ったのだが、久しぶりにジャンボ(747)だった。しかも初の2階席最前部だった。ジャンボそのものがもう使われていないと思い込んでいたので、認識を改めた(その後のニュースで、3月31日で退役だということを知った)。やはり40年ほど前の最新鋭機だ。インフォメーションの画面はブラウン管のTVだった(写真↓)。


1975年映画「エアポート75」(チャールトンヘストン、カレンブラック)が思い起こされる。しかし、古くても広い客室は気分が楽である。

沖縄では、県下の民商事務所訪問、名護市での決起集会参加、選挙事務所訪問、会員・役員訪問など精一杯の行動だった。どこでも、この市長選挙が日本全体にどれほど大きな影響を与えるか、自民党の圧力をはね返す結果で、安倍政権の暴走を止める力になって欲しいというお願いをして回った。そして、名護の人たちはやはりあの戦争の惨禍を繰り返させないという大きな一致点で闘っていることが感じられた訪問だった。誰と話しても身近な家族や親族の中に戦争の犠牲者の記憶が深く・鮮明にあることが分かった。
(写真↓名護で開かれたシンポジウム)

(写真↓名護の風景・税務署)


一週間後、名護の市民は稲嶺進市長の圧勝・再選という結果で、私たちを励ましてくれた。
  稲嶺ススム 19,839票  末松文信 15,684票

1月15日(水)
福島の二本松市へ出かけた。福島県連の新春の集いへの参加である。
大震災・原発事故から3年目となる今年は、被災中小業者にとって、4月からの消費税率8%の負担という大逆風のもとで、それでも事業再建をめざす正念場の年になるだろう。参加達の、全国からの激励と支援に応えようという熱い思いで熱心な話が続いた。
二本松市には初めて出かけたが、戊辰戦争の激戦地・二本松少年隊の悲劇という印象しかなかったが、もともとはやはり城下町からであるようだが、町並みは神社か寺の門前町の雰囲気に思えた。城跡は石垣などが整備され、安達太良山塊をバックに壮大な山城の景色となっていた。霞が城というのだそうである。
(写真↓二本松の城跡)

名古屋そして業界団体

2014年03月14日 | 日記
1月5日(日)は、名古屋で地域別新春決起集会に参加。駅前のホールには、福山から帰路駆けつけたN山さんが待っていてくれており、心丈夫であった。
東海ブロックの4県から270人が参加。工夫された発言や寸劇で参加者は大いに励まされたのではなかろうか。
その日のうちに、東京へと帰った。

8日(水)は、毎年恒例の業界団体訪問。今年は日本商工会議所と日本漬物協同組合連合会の2ヶ所だった。


白浜から和歌山の夜はむらさき

2014年03月14日 | 日記
3日(金)は、白浜へゆき、ワールドサファリ見物。
(写真↓パンダ)


これも4~5回目なのだが、どうも記憶が曖昧で、何か新鮮に感じた。動物を見て回るサファリ号がガラス張りになっていた。
(写真↓サファリ全景…案外狭いところだ)


イルカ・鯨のショーは、かなり洗練されている。特に調教の人たちが一緒に泳ぐ様子は、ファンタジーだ。鯱の「弁慶」がいなくなって随分経つのだそうである。

三段壁、千畳敷といったお定まりのコースも巡り、帰路についた。夕日が綺麗であった。
(写真↓三段壁)


(写真↓千畳敷)


(写真↓ついでに見に行った和歌山城跡


(写真↓和歌山城天守閣から見た夕日)

今年の正月は「かぐや姫」から「むすめ道成寺」の旅だった

2014年03月14日 | 日記
ずいぶん久しぶりの投稿となった。
あれこれとあわただしい毎日で、振り返る余裕もなかったといえば格好をつけているようだが、追い詰められる毎日だったように思える。
かといって、今日が余裕があるわけでもないが、休眠でもないので、1月以来のことを少しだけ投稿する。

1月1日(水)
昨年に続き正月は自宅で家族全員そろって迎えることができた。
全員で映画鑑賞・・・「かぐや姫の物語」
なかなか素晴らしい。高畑監督には、あの「柳川掘割物語」以来、敬服してきたつもりだが、「ほたるの墓」を超える最高のアニメではなかっただろうか。
(写真↓…記念に映画館でパンフレットを撮影した)


夕方から恒例の初詣。
近所の廣田神社(写真↓)。


みんなはおみくじを引き、大吉の子もあったようであり、なにせめでたい正月となった。時刻が遅かったので今年は焼き芋にはありつけなかった。

1月2日(木)から3日(金)にかけて、和歌山方面に移動。
往路では、湾岸自動車道で大渋滞に遭遇。正月渋滞かと思っていたら、泉南のりんくうタウンにできた「アウトレット」への車列だった。これで被害は2度目。
結局、御坊市の道成寺についたのは昼となった。
門前の食堂で昼食をとったあと、長い階段をのぼって道成寺絵巻物上演と国宝・千手観音見物。
(写真↓道成寺の境内)

(写真↓山門からの景色)


通算で4回目になるだろうか?
昔名調子を聞いたお坊さんも代替わりしていたが、「安珍・清姫伝説」を面白く、説話的に語っておられた。平安時代の物語である「安珍・清姫伝説」の話と歌舞伎になっている娘道成寺の話がこんがらかっていたが、今回「娘道成寺」は約400年後の後日談であることがやっと解ってすっきりした。