関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

自民の対抗軸は共産党

2013年06月24日 | 日記
22日、23日と葛飾区へ入っていた。
都議選の結果が出た。
民主惨敗。
自民が第一党。
共産党が倍加で17議席。
維新は3から2へ。

重要なのは共産党が躍進したことだ。
政策的には、自民党への対抗軸は共産党しかいない。
その共産党が倍加したことが、さらに大きな変化への弾みになるべしだ。

通常国会最終盤

2013年06月23日 | 日記
6月19日 通常国会の最終版での国会前集会に参加。


衆議院第二議員会館前には200人が集まった。
その場は普段から風がきついのだが、この日はさらに強風が吹き荒れ、
旗のポールが折れてしまった。議員会館が建て替えられ高層になってから、
風害がひどくなっているように思える。


そんな中でも、最終版国会では「生活保護法改悪案」などの重大事態が続いている。
生活と健康を守る会の皆さんは、参議院議員会館前で座り込みを続け、
連日議員への要請行動を展開中だ。
しかし、自民・公明はもちろん、民主や生活など野党までが保護法改悪を認めており、
真っ向反対は共産党のみという状況になっている。
この法案は、本当にデタラメだ。
生計の道が断たれた人が最後の命綱にしている制度を、
自分で書類をそろえて手続きしなければ受付もしないというのだ。
本来困っている人は、周りの通常生活者(その代表が公務員だが)が、
気を配って援助していくのが普通の人間社会ではないのか? 
書類を揃えるような余裕がないからこそ、
社会的にその人の生活を保護しなければならないという
法の理念=憲法25条・生存権の考え方はどこへ行ってしまったのだろうか?
ごく一部の不正受給事案のみを根拠に、
保護費を申請すること自体が悪いことという観念で
弱者全体をいじめている。
マスメディアや片山代議士らが
バッシングに執着したことを世論が批判しきれていない。
このまま法律が通れば、
先日の大阪北区での母子餓死事件のような悲惨な出来事が多発するだろう。
生活保護は、制度や受給者が悪いのではなく、
社会保障を削減しようとする権力側の運用が
間違っているから救うべき人を救っていない
という現実があることを明視すべきだ。

集会では、今ひとつ重大な問題が報告された。
労働者の解雇事案だ。
日本IBMで「ロックアウト解雇」が広がっている。
同社では、昨年7月から
業務時間終了間際に労働者を突然呼び出して解雇を通告し、
そのまま職場から締め出すという首切りを続けているそうだ。
労組によれば、それまででも「成績不良」を理由に
自主退職を迫る動きがあったが、
これを、有無を言わさぬ解雇にエスカレートさせているそうだ。
アベノミクスで狙われている財界奉仕の労働法制改悪=解雇の自由の先取りだ。
従業員を大事にしてこそ企業の存在価値があるとか労働する権利が守られるとか、
私の中での常識と価値観が正面から否定されている。

生活保護も労働者の首切りも、社会的には被抑圧者同士がいがみ合わされている。

都議選告示。兵庫では尼市議選、来月は知事選・参院選

2013年06月14日 | 日記
6月に入っての10日あまりは、出張もなく
都内での行事や会議に参加しながら、黙々と仕事をしていた。
9日の日曜日には、
東日本大震災被災地の中小業者の復興問題で
今後の長期的展望も含めた政策を検討する会議
全体の復旧自体が遅れているうえに、
政府の復興策の歪みから「復興格差」といわれる状況が広がっている。
地域ごとの長期的振興策を住民自身がつくりだしながら、
地元の力を発揮することと、政府施策も含め
全国からの「支援」を強める体制が必要だと思った。
原発事故をかかえる福島の現実は、
東日本大震災災害一般とはまた別の大きな課題だ。
なにより「原発ゼロ」の立場と
被害者への完全賠償、除染の課題について、
国と電力会社の責任を明確にしなければならない。
原発輸出を画策している現政権や
原発メーカーの暗躍が続いていること自体が
復旧・復興を阻害しているといわなければならないだろう。

その日は、もうひとつ
国税庁の税務行政をめぐる諸問題についての
対策を考える会議も行われた。
翌日には、霞が関の官庁に出向き交渉に臨んだ。

K葉嬢からスケッチの写真メールが届いた(写真↓)


今日は都議選告示。世間は参議院選挙に向けて動き出している。
兵庫では尼崎市議選が行われているし、
参院選と一緒に知事選も行われる。
何とか前進してほしい。
明日・明後日は西宮に帰宅する。

原発ゼロ集会、自治研会議で 最後の明治公園・青年館利用

2013年06月04日 | 日記
6月2日(日)
明治公園で「ノー ニュークスDAY」の集会。1万8000人が参加した。
兵庫から来ていたS田さんやA部さん、M田さん、M内さん、N津さんらと邂逅。
(写真↓明治公園の集会/正面の建物が日本青年館)


集会後 六本木までデモ行進(パレード)
先頭は、サウンドカーのDJから、若者らしい
(少しダイオ音量過ぎたかもしれないが)呼びかけの後に、
長ーい隊列が続いた。
その後ろでは50人ほどの太鼓部隊。
強烈な二拍子が鳴り響いた。

デモ終了後、日本青年館(明治公園の隣)に取って返し、
自治体問題研究所のシンポジウム・レセプションに出席。
ここでも兵庫から来ていたOダ田教授やO田桐さんに再会した。

ところで、明治公園も日本青年館も、隣の国立競技場の建て替えと周辺整備の名によって取り壊され青年館は移転、公園はなくなってしまうそうだ。五輪招致を大義名分に、またしてもスクラップ&ビルドで、大企業の仕事が確保されていっている。もちろん文化やスポーツの環境整備や設備更新は必要なことだが、暮らしの困難が増しているなかで、大企業の仕事確保と直結する事業だけが行政の最優先事業になっているのではないだろうか。その周辺一帯は「神宮外苑」と言うのだそうだが、持ち主は明治神宮だそうだ。神社の資産活用とも連動しているとすれば、庶民からかき集めた税金の使い方を誰が、どう決めているのかという問題になる。五輪歓迎はマスメディアと政府など行政権力によって作られているが、根本問題での主権者への情報提供と問題提起は何もない。

西へ東へ 新幹線喫煙車利用

2013年06月04日 | 日記
5月26日(日)
前の日に家に帰り、新神戸から早朝の新幹線で岡山へ
(写真↓新神戸駅から見た布引の山)


5月27日(月)
5月27日は、岡山から電車で倉敷駅に9時着
駅前からタクシーで市役所へ
9月に行われる全国商工交流会への市の後援をお願いした。
対応したのは、商工労働部。
倉敷の美観地区だけでなく、児島のジーンズ
産業などを押し出したいとの意向と企画が
マッチするということで、前向きに検討することを約束

倉敷は1967年に旧倉敷市に児島、水島、玉島地域が合併し、今の市域を構成している。水島は当時からの臨海工業地帯としての開発もあり、日本有数のコンビナート・工業の集積地。児島は元々学生服の製造が有名で、それは現在ジーンズ生産地として発展している。ジーンズ通りという商店街があるそうで、それがまちおこしの目玉でもあるようだ。そうした衣料・繊維産業の展開は、温暖な瀬戸内気候での綿花栽培の歴史もあるのだろう。倉敷はクラボウ・クラレの隆盛の中から、大原美術館をはじめ現在の観光都市への基盤ができた。しかし、その陰には戦前・戦中の軍需と結び付いた大原家という地元大地主の特権的支配があったのだろう。私の母は戦時中、そこに徴用されていたと聞いたことがある。

取って返して岡山ではHNKへ駆け込み、書類を提出した。

新幹線の喫煙車両に乗り込み、その日は東京へ帰るのみ

翌日は、朝から会議。夕方からまた新幹線で西へ
翌朝からの中央社保協(社会保障推進協議会)総会への出席のためだ。
名古屋駅から在来線で二駅もどり金山駅で降り、徒歩5分で宿泊ホテルへ
29日の総会では、国保料滞納問題や消費税問題で発言。
兵庫からの参加者や大阪のT内さんと会い、ごあいさつ

昼の終了とともに、名古屋駅に直行し、弁当を買い込み
再び喫煙車両で文章を一枚書いてメールで送付。
やはりギリギリにならないとできない私だ。
東京に着いて4時からの会議に参加。
そのあとは職場の若い人の誕生祝を名目にした
「暑気払い」(少し早いが・・・)に参加。
(写真↓池袋)


5月30日(木)
朝から印刷所。一日がかりで校正作業。
なんとか下版までいったが終了は午後7時だった。
一年ぶりの辰巳方面となった。
公園の一本道の桜並木を歩いたのだが、
昨年は震災後の液状化現象で壊れた歩道を
簡易舗装したあった道が、今年は見違えるように
きれいになっていた。
なんでも、近くの辰巳国際プールに
オリンピック調査団が来るというので、
改修したそうだ。
せっかく綺麗になったのに、
猪瀬知事の他都市誹謗発言で効果はなくなったようだが・・・。
事務所付近では、ツツジが満開になっていた(写真↓)