関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

《増税ストップで根本の転換の年に》

2011年12月18日 | コラム
#73=3004
2011年12月19日付
《増税ストップで根本の転換の年に》
 東日本大震災・津波・原発災害をはじめとする激動に見舞われた2011年もあと10日余りになりました。そして、さらに激動が予想される2012年の幕開けが迫っています。いつにも増して厳しい年の瀬の中で、今年を振り返る余裕もないのかも知れませんが、今年は家族や仲間と何とか話し合っておきたいものです▼3・11災害と原発事故は、日本の政治の根本が問われました。しかし、世界的経済危機の下で、財界と米国追随の政治勢力によって、国民の苦難が逆手にとられ、来年は、より悪い政治が行われようとしています▼12月4日の全国68紙の新聞に、3億円の国費を費やして政府広告が掲載されました。そこで野田首相は「オールジャパン」という言葉を使って「庶民増税」を言い放ちました。もちろん、それは消費税10%のことです。この広告を見て、どれだけ多くの中小業者が「来年は廃業か」と思わされたでしょうか。この国の総理は間違いなく中小業者を見捨てています▼そのことを知った上で、なお、もっと多くの人が「生き残る道」を模索している現実を話し合いましょう。その道は「増税ストップ」で、悪政を根本から転換させることではないでしょうか。2012年は、そのたたかいが確実に全ての焦点になることでしょう。

写真は鞆の浦
〈福禅寺から見た鞆の浦の景色〉
「日東第一形勝」(朝鮮より東の世界で一番風光明媚な場所)と言われている


同じく鞆の浦
〈坂本竜馬ゆかりの「いろは丸」と名付けた観光船〉

《「庶民大増税時代」は許されない》

2011年12月11日 | コラム
#72=3003
2011年12月12日付
《「庶民大増税時代」は許されない》
 国税通則法が改悪されました。記帳や帳簿の提示・提出義務化など、中小業者の実態を無視した「取る側の論理」=税務当局の権限強化につながる内容に満ちています▼同時に成立した復興財源確保法は、大企業減税の一方、庶民に8・1兆円もの増税を押し付けてきます。通則法改悪は、消費税も合わせて、政府や財界がつくり出そうとしている「庶民大増税時代」に向けて、財務省・国税庁が仕掛けた布石でした。最大の問題は、「納税者は誠実な存在と見なす」という国家と主権者との関係の大原則が否定された改悪ということです▼これから過大なノルマと官僚的指導の下で現場の税務職員が、権限や罰則を振りかざしてしまえば、「払うに払えない」数多くの小企業・自営業層の納税者を苦悩と破たんに追い込んで行くことになります。すでに、売掛金や子どもの学費までむしり取るような調査と徴収が横行しているのですから▼60年の歴史を持つ民商の税金闘争の値打ちが生かされる時です。不当な権利侵害を一つ一つ是正させ、憲法を基本に、主権者としての権利を身につける納税者が増えることが、間違った法律をただすことになります▼そして、消費税増税阻止こそが、改悪を推進した民・自・公3党への主権者の鉄ついとなることでしょう。

写真は<沖縄・名護市>

被災地を思い起こす

2011年12月06日 | 日記
今日も、長い会議だった。
この秋は、近年にない組織的運動の前進を果たしたのだが、
その間に情勢はますますおかしな方向に進んでいた。
税制をめぐって、納税者の権利を抑圧する法改悪が、タンタンと実行された。
政治家を標榜する者が、なぜ主権者(納税者)の権利問題に無関心でいるのか、
誰がそんなヤツを選んだのか。
大阪のあの「恫喝駆け引き専門偽政治家」の当選のことなど考え併せ、
政治家の劣化とその責任を考えざるを得ない。
大阪では教育の理想は語れなくなるだろう。

いよいよ、日本社会は「構造改革」の仕上げとしての
「大増税時代」に入るところまで来ている。
大衆は一部の支配層と資本のために、
せっせと身を削ることを義務として受け入れるのだろうか?

あとわずかで大震災から9か月になる。
思えば、一週間後に被災地に入ったが、
あの絶望的だった女川町はどうなっているだろう?
その現場から思い起こせば、政治の役割は誰にでもわかるはずだった。

3月20日の女川町の写真を掲載し、その時の感想めいた文章を再掲する。











▼女川の街に入る峠から見渡すと、津波は港から町を呑み込み、谷沿いにさかのぼるほどに水位を上げ、向かいの山の中腹まで家や車を押し上げていた。峠を越えて、隣の浦宿浜まで下ったようだ。どこまでも追いかける津波、その先端に生死の境があったのだ▼避難所の隣に設置された安置所には、多くの遺体が収容されているが、名前が判明したのは10分の1にも満たず、遺族による引き取りも進んでいない。被災地には、こうした悲しみがいっぱいだ。その上、元の暮らしに戻れるめども付かない毎日・・・

葬儀から赤目、そして快晴への一週間

2011年12月04日 | 日記
11月29日は、午前中から前会長の告別式。
先週から、葬儀続きだ。
新聞によれば、この間、古い知り合いの幾人かが亡くなっている。
それだけに、そういう年代に入ったかと思わざるをえない。
今回は浄土宗だった。
子どものころから親しんできたからか、経や作法などが何となくわかり、
南無阿弥陀仏の十念も自然に、心の中でとなえた。

1日はお茶の水あたりにある某世界的平和&核兵器廃絶団体の会合に出席。
その後、その団体で国際活動を仕切っている迫力女子と一杯となってしまった。
最近、韓国づいているとのことで、韓国の酒を美味しく飲んでしまった。

2日は、紙面割り付けに全力。
そんな中で突然「あなた、目が赤い」と言われ鏡を見てアレアレ。
なんと左目の右白目部分がほぼ充血してしまっている。
ずいぶん前にもそうなったことがあるが、
疲れとかとはあまり関係ない症状のようだ。
しばらく様子を見ることにした。
少し気味が悪いが、記念に写真を掲載しておく。


3日は、職場で「ストレッチ講座」。
首が痛い、腰が痛いの声に応える企画であった。
1時間弱の体操で、少し血のめぐりが良くなったようだ。
ただし、1分間のスクワット的姿勢維持は、両モモが痙攣するようだった。
4日は久しぶりの快晴。雲ひとつなかった。
職場から上のほうだけ見える「スカイツリー」もいつもより良く見えたので写真を撮ってみた。


《すべての中小業者に商工新聞との出会いを》

2011年12月03日 | コラム
#71=3002
2011年12月5日付
《すべての中小業者に商工新聞との出会いを》
 11月25日商工新聞読者が30万人を突破しました。9月以降新たに3万人以上の方にこの新聞を読んでもらっています。新読者の皆さん、ご購読ありがとうございます▼この広がりは、全商連創立60周年行事に向けた全国の奮闘の賜物です。さまざまな方から、読者が増えた様子や経験を聞きました▼「役員が手分けして、共済の健診グッズを持って、全ての会員を訪問」「10月4日の業者婦人決起集会参加者が『目の色を変えて』読者を増やした」「税金の差し押さえで困っていた人が、会長と一緒に交渉して解除を勝ち取り、『民商はすごい。ワシも増やすわい』と言って行動」「被災地支援の行動で、元気をもらって帰り、民商の値打ちへの理解が広がり、訴える力になった」などなど。「読者でもある文化協会の幹部が地域の老舗をまわって『良い新聞だから』と、9人の読者を増やしてくれた」など読者が新読者を増やすという経験も各地に共通していました▼いずれもが、この複雑で激動する情勢の中で、中小業者が生き抜くために、「民商を大きくし、商工新聞を読む人を30万人にしたい」という願いと、「すべての中小業者に商工新聞との出会いを」の構えで行動が広がったことを表しています。こうした熱意に応える紙面充実を改めて決意しているところです。

写真は〈京都・八坂の宵闇〉