関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

12月のこと・・・その6(大晦日)

2013年12月31日 | 日記
いよいよ12月も最終日・大晦日である
愛車(ファルコン号・写真↓)で、
東京から西宮までひとっ走りで帰宅


富士山が今までで一番鮮やかに見えた
※富士川サービスエリアからの全景・・・右の山塊は愛鷹山


※縦景の富士


※山頂をズームアップ


名古屋付近で、今年最後の夕日が


午後7時15分に我が家に到着

明日は、いつも通りの1月1日だが、
さらに激動の一年になるだろう

12月のこと・・・その5

2013年12月31日 | 日記
12月28日から女房殿とN哉クンが東京に来ていた。
29日はアパートの片づけなどなど用事をしてもらい、
30日(月)は、東京見物。
品川の水族館と上野公園をブラブラした。

まずは、品川水族館
※水の中のトンネルから見上げる魚たちはなかなかの迫力だ

ただし、水槽の規模は、海遊館に比べればかなり小さい

※岩魚の泳ぐ姿をはじめて真横から見た


※ホワイトシャークというそうだ


※北の海の「クリオネ」…ひれを羽のようにひらひらさせて泳ぐ


続いて、上野公園
※誰もが知っている西郷隆盛像


※旧寛永寺五重塔

現在は、東京都の管理下にあり上野動物園の敷地内に位置する

※上野大仏(顔面のみ)

もともと、大仏像があったそうだが、
1923年の関東大震災で頭部が落下し、
そのまま胴部以下は、戦争中の金属供出で消失してしまい、
その後顔面部分だけをレリーフとして再現したそうである

※東叡山東照宮


※観音堂から見た弁天堂


※弁天堂から見た観音堂


※広島・長崎の原爆の火種から灯した「平和の灯(ともしび)」

東照宮がその灯を守っているとのことである

12月のこと・・・その4

2013年12月31日 | 日記
12月22日は首都圏反原発連合が主催する
原発反対総行動・国会包囲行動に参加
午後1時からの集会、国会包囲行動、国会前集会などに15000人が集まった
国会周辺の面倒くさい規制で複雑な移動を強いられながらも、
参加者はすべて整然と抗議行動を貫徹した。
反原発連合の皆さんとそれに賛同参加している人々の運動センスと常識は素晴らしい

そんな中でも、規制を貫徹しようとする警察当局の過剰な忠告
・・・具体的には、国会裏の歩道で歩き疲れて座っている人への排除行動・・・
などには、一部過剰反応で こじれそうになった場面にも遭遇したりもした。

さらに、国会議員会館前の道路に突然右翼っぽい街宣車(普通乗用車・ワゴン)2台が乱入し、
包囲行動参加者を挑発しまくり、
ついには車を歩道に突っ込みそうになるという場面も生じた(写真↓)。


参加者たちは、冷静に対処したのは勿論だった。
問題は何故、1万人もの人々の中に挑発者を乱入させたかという警備
・警察側の不備、あるいは意図があったのではないかという疑問だ。

警察官一人一人は「誠実」でまじめな態度だったように思えるが・・・。
ただし、その態度(最近はやりの「DJポリス」ぽい)とは裏腹に、
仲間内では、歩道整理をし損ねた警官を、頭ごなしに叱りつけ、罵倒する上司の姿も目撃した。

12月のこと・・・その3

2013年12月31日 | 日記
12月20日と21日は、職場の旅行で伊豆・伊東方面へ行った
以下、写真の説明のみ
(熱海の起雲閣という昔の大金持ちの別邸、その後旅館、現在観光名所?)
※↓客間の壁の紫色が独創的な色彩だった。加賀藩の影響と説明された


※↓洋間のタイル張りも鮮やかな模様


※ステンドグラスの意匠


※↓暖炉も本物だった


※↓柱と天井は和風


※↓窓越しに眺める庭は、よく整っていた


(同じく熱海のMOA美術館を見た)
※↓美術館からの相模湾の景色


(伊東ではミカン狩り)
※ミカン山からのながめ


(伊東からシャボテン園へ)
※サボテンの花


※カピパラ(でかいネズミか?)


※富士山遠望


※伊豆大島


(ワイナリーへも行った)
※ブドウ畑ごしに見る富士山と南アルプス


12月のこと・・・その2

2013年12月31日 | 日記
12月6日(金)
午前中に大久保駅の近くで会議に参加し、その足で国会前集会に参加。秘密保護法をめぐって最大の山場となる参議院にむけての要請行動だった。
反対世論の高まりの中で、本会議開催が遅れに遅れたが、自民・公明の与党の多数ゴリ押しで、採決が強行された。
秘密保護法成立・・・この国はどこへいくのだろうか?そして、どこで破綻するのだろうか?

12月7日(土)
地域経済問題の研究会に出席した。
地域経済から見ると、現在のアベノミクスはとんでもない逆方向ということが明瞭にわかる。多国籍大企業とアメリカの都合だけに合わせた「成長戦略」は、とても経済政策とは呼べない。人間が生きるための生産という必然の目的がかき消され、利潤と資本増殖だけが政治の課題になっているのだ。
それでも、各地では地域から人間らしい暮らしと事業活動をコツコツと続けているたくましい実践があるのだが・・・。それらが、今つぶされようとしている

12月8日(日)
日比谷の野外音楽堂で行われたTPP交渉妥結に反対する集会に参加。
JAや医師会も賛同し、インドネシアの元首相マハティール氏からもメッセージが届くという幅広い立場の集会だった。ここでも少なくない国民が、政治の嘘を見抜いて運動に立ち上がっている。こうした運動の広がりも反映して、TPPの年内妥結はなくなった。おそらく来年になっても、交渉自体がさらに混乱するだろう

12月9日(月)からの一週間は、比較的おだやかに過ごした一週間だった
13日(金)には、東日本大震災の被災3県から被災者運動の方々が国会前に駆けつけ、①被災者生活再建支援法で支給される支援金の増額(300万円→500万円)②被災者の医療費の窓口負担への補助(負担金ゼロ)の復活③原発事故の損害賠償完全実施の3点を共通して要求する行動に参加した。
かつて阪神大震災被災者への支援を求めて同じように国会前で行動したことを思い出しながらの参加だった

12月14日・15日は、西宮に帰った。久しぶりに散髪をすることができた。