関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

遥かなる柴又へ

2013年03月19日 | 日記
17日(日)は完全休日となったので、
前々から一度は見ておきたいと思っていた葛飾柴又へ出かけた。
常磐線の金町駅で京成電車へ乗り換え、ひと駅で「柴又駅」へ(写真↓)


近所に住む同僚に案内してもらい、門前町の商店街を抜ける(写真↓)


寅さんの映画に出てくるままの縁日のような風景だ。
チャラチャラした観光地の土産物屋やコンビニなどが無いのが良い
ただし、屋台には「ケバブ」(トルコ料理だったかな?)
の看板で巨大肉塊が吊り下げられている店もあった。
映画のモデルになったであろう「とらや」さんも人垣で賑わっていた。
ほどなく帝釈天の山門(写真↓二天門というのだそうだ)


横の鐘楼も映画で見慣れた景色だ(写真↓)


全体に、思っていたよりも小ぶりだったが、
細かい彫刻で飾られた姿から、昔からの信仰の厚さが感じられた。

正面の帝釈堂(写真↓)に上がり込んで、拝みながら中を伺ってみると、
「法蓮華経」の経が聞こえてきた。宗派は日蓮宗である。


日曜でもあり、境内には観光客が多い。
猿回しの周りには人だかりができていた(写真↓)



境内の裏手から土手にあがってみるとそこは江戸川だった。大きな河川敷と橋。
河川敷では野球をしている(写真↓)


少し上流に「矢切の渡し」があるそうだ。
柴又は、古くから江戸から水戸へ抜ける街道の要所で、関所もあったと聞いた。
江戸のさいはてだったのだ。

今は江戸川をはさんで向かいは松戸市(千葉)。
土手は大きく、表示には「スーパー堤防」と記述されていた。

その土手に組み込まれた形で
「寅さん記念館」と「山田洋次ミュージアム」が並んで建っていた(写真↓)


一時間ほど見学。共通入場券で500円だった。
寅さんと山田洋次の世界を忠実に表現しようと工夫され、
丁寧に丁寧に作りこんだ展示だったように思う。
映画で使われたセットもそのまま再現されていた。
山田洋次作品の類型化も納得のいくものだった。

昼食は、商店街を駅の方面に引き返したところにある小さな食堂だった。
昼間からビールを呑み、語り、いい調子になってしまった。

一日中、気持ちの良い暖かさだった。
東京は前日16日に「開花宣言」だった。

TPP参加表明は、自民流「みんなで渡れば・・・」の世界

2013年03月18日 | 日記
3月11日・12日とも会議の連続だった。
13日は、朝から国会。
安倍首相が15日に「TPP参加表明」するという状況で、自民党の内部調整が話題になっていた。
同日開かれた自民党TPP対策委員会の決議なるものを見たが、種々の不安要素を書き込んだが、「国家100年の計」「国益を十分に実現」といった抽象的「大義名分」で、参加を促進し、首相の表明を後押しするものでしかなかった。
メディアでは「脱退も辞さない」などと歯止めがかけられたかのように報じられたが、客観的に見れば、「聖域なき関税撤廃を前提条件にしない」など6項目の自民党公約を正面からごまかし、有権者を騙したことになるのは明らかな内容だった。
「脱退」と言っても、脱退する自由があるのかどうか、それに対しての「制裁措置」があるかどうかも不明なままの参加表明では、ノーガードで国益を外国(中心的にはアメリカ)に委ねたと言われても仕方がない。
自民党は野党を経験したが、相変わらずのトップ委任という手続政党でしかないようだ。
先に挙げた公約との整合性が、それぞれの選挙区で問われるだろう。その時、彼らは「安倍首相が『聖域はなくはない』と言ったので・・」としか言えないだろう。
思えば、昨年の3月末から4月にかけて、民主党では、消費税増税法案提出をめぐって「執行部一任」が強引に手続きされた。その結果の政権崩壊だったという教訓を生かそうという動きは、今回の自民党には見えなかった。きっと同じ轍を踏むのだろう。

14日・15日とも会議が主の一日だった。
16日の土曜日は、久しぶりの事務所当番。
夕方からは、これも久しぶりの部屋掃除が出来た。

原発ゼロへ 4万人が国会包囲

2013年03月14日 | 日記
3月10日は、日比谷公園での集会
当初予定されていた「草地広場」は、東京都が許可しなかったので、
図書館前のスペースに仮設舞台(宣伝カー)を置いての集会となったが、
参加者は5000人だったそうだ。
福島からの訴えや「反原発連合」からの連帯あいさつなど、
充実した内容だった。〈写真↓〉


そこでの集会は12時40分ころ終わり、
となりの日比谷野外音楽堂での反原発連合の集会に合流と思ったが、
すでにその時点で野音は超満員。
6000人だったそうだ。

その後、私は東京電力本社前での抗議行動に参加した。
日比谷公園から歩いて5分のところだ。
集まったのは約500人。
宣伝カーの上から様々な人が訴えた。
ロイター通信や東欧のメディアなども取材に来ていた。
英語でインタビューを受けたが、意味がわからず、近くの人に翻訳してもらい
日本語で多少のコメントをしてみた。
「今日の抗議行動の意義を語れ」といった質問だった。

午後5時からは国会前行動。
この日は、朝からの国会周辺の行動で、延べ4万人が集まったと発表された。

この日は、午前中は夏を感じさせるほどの好天。気温は25℃を上回ったようだ。
ところが昼過ぎからいきなり空から煙が降ってきた上、強風で一気に気温が下がった。
薄黄色の煙で霞ヶ関のビルも霞んできたので、
黄砂かと思い、言いふらしてしまったが、
黄砂ではなく、強風で砂粒が吹き上げられる「煙霧」というのだったそうである。
東から西に向けて、
見る間に薄黄色の煙が青空をかき消していく様は、
なにか薄気味の悪い雰囲気であった。

渋谷・ハチ公前 「若者よ」

2013年03月13日 | 日記
3月9日(土)は、初めて渋谷駅前での宣伝行動に参加した。
翌日行われる「原発ゼロをめざす東京行動」の宣伝だった。
〈写真↓〉


午前11時から12時までの1時間だったが、
「若者が多い町」のとおり通行人の平均年齢が若かった。
ハチ公前の広場は、いつでも隙間無いほど人の待ち合わせで一杯。
TVでよく出てくるスクランブル交差点も人で一杯になる。
〈写真↓〉


渋谷へ行ったついでに
京王電車への連絡通路に展示されている
岡本太郎の『明日の神話』を眺めてみた。

午後からは
日比谷図書館で行われた
日本ジャーナリスト会議の
シンポジウム「安倍ブラック政権の正体」へ参加。
石川教授と桂敬一さんの痛快な話を聞いた

大震災・原発事故から2年(フクシマへ)

2013年03月11日 | 日記
3月4日にかけては、福島の南相馬市へ出張。
東北新幹線の福島駅から地元の役員に車で送ってもらう。片道2時間。
福島の浜通り地域、相馬や南相馬、浪江、双葉、大熊などへは、
海岸沿いの常磐線が原発事故のあおりで不通になっているままなので、
大変不便になっている。バスも便数が少ない。
国道114号線を東に向かい、川俣町から県道で南相馬に抜けるのだが、
途中の飯舘村は全村避難のままだった。
美しい農村風景だった〈写真↓)


見た目にはなんの変哲もなく家や信号はあるのだが人影はない。
田畑はこの2年間耕作されておらす荒地になっている。
無人の街を抜ける中で、「この日本に、人が住めない土地が出現する」ことの恐ろしさを実感した。
途中に、除染作業で集められた土や木の葉などをビニールに包んで一時保管する場所があったが、
国道から30メーターほどのところに野積になっていた(写真中央の台形の部分↓)。


川俣町や南相馬市では、各家々に除染作業が行われていた(写真↓)。


南相馬では、市長に面会し地域の様子や復興への課題、
消費税増税の影響などについて話を聞くことができた。
〈南相馬市役所〉


南相馬市長・桜井勝延氏は1956年生まれ、
原発事故の際には情報不足の中住民の安全を期して、
数々の決断を下しながら、インターネットで被災地からの発信を重ね、
その年の「世界に影響を与えた100人」の一人に挙げられた方でもある。
産業と市民生活の再生に向けた苦悩がにじんでいた。
〈写真↓南相馬市役所前に設置されていた線量計〉


福島市への帰路は、晴天のなかだった。
写真は福島市内へ入る直前の高台から見た安達太良山の景色。