関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

南の島で基地めぐり

2011年09月28日 | 日記
23日から家族で沖縄へ行ってきた。
1年に一回ぐらいは旅行をとの構想だが、
子どもたちも一人前になってきて、
日程を合わせるのも、なかなか大変だ。
次女は、同行できなかった。

関西からと、東京から
それぞれ飛行機で那覇へ、現地で合流して
すぐ車で名護へ。
名護のN本さんにお願いして、
汀間漁港から大浦湾、辺野古沖へと船を出してもらった。
M田ハゲムさんにも1年半ぶりにお会いできた。
海から見る「キャンプシュワブ」
アメリカ海兵隊の基地だ。3000人ぐらい駐屯しているそうだ。
このきれいな海と沿岸を
V字型滑走路で破壊しようとする連中がいる。
こまったものだ。
辺野古の港の座り込みテントも訪問した。
さらに全国からの応援ではげましたい。


翌日は嘉手納基地と普天間基地。
嘉手納では、道の駅の展望台から広大な軍事飛行場を一望。
輸送機が一機離陸し、すごい騒音を響かせていた。


普天間にも急きょ移動。
市民会館側から、フェンス際へ。
中の様子はよくわからない。
しかし、海兵隊ヘリコプター部隊が、
このまちのど真ん中に居座っていることを実感した。


野田政権も、辺野古への移設ありきで動いている。
しかし、「基地はいらない」という沖縄の決意は揺るがない。

名護では水族館で東シナ海へ沈む夕日をバックに
イルカショーを堪能した。


那覇では、お定まりの首里城。


夜は琉球大にいる甥と国際通りで食事。
広場では、こんな大道芸もあった。
つばさ君24歳 だそうだ。


空港のユーフォーキャッチャーで
娘がゲットしたシーサーのぬいぐるみを、
わが部屋に飾ってみた。


《被曝と運動会》

2011年09月22日 | コラム
#61=2992
2011年9月26日付
《被曝と運動会》
 今月半ばには、熱さが続きましたが、いよいよ秋本番。皆さんの所では虫の声は聞こえますか。東京では中秋の名月がきれいでした。ウサギの餅つきも久しぶりに見ました。こんなゆったりとした風物で、秋を楽しめれば良いのですが、台風12号の猛威も考えると、「また災害が起こるかもしれない」などと、不安がよぎります▼秋といえば運動会ですが、今年はこれも不安の種になっています。先日は各地の小学校で「熱中症」が集団発生。体を動かし躍動を謳歌するはずの行事なのに、一部競技を中止するなど、全力発揮にブレーキをかけるように腐心しなければならないとは…▼これはまさに気象の影響ですが、福島方面の運動会は、被ばく不安から屋内開催とか開催中止といった異変が起こっています。子どもたちは、今年はプールもなく、外遊びもできず、その上に運動会もとなれば、ふびんの一言です▼対応に追われる教師の皆さんも大変でしょう。しかし、原因は原発事故にあることを忘れてはいけません。保護者がそれに気がつかないと、東電・政府は頬かむりを決め込むでしょう▼子どもたちが思い切って身体を動かし、友達やクラスの仲間たちとの連帯を感じられるよう何かできないでしょうか。東電・政府よ、責任を取れ。

写真は昨年11月の〈京都・知恩院の紅葉〉


昨日と今日は、忙し編集。なんとかなったがもう少し勉強しないと…。
明日からは、相方、娘A、息子Aと南方面への旅だ。


なんと6万人が

2011年09月19日 | 日記
本日(19日)
新宿駅で総武線に乗り換え、
千駄ヶ谷駅をめざしたとたん、
「ムム雰囲気が違う。
集会モードの客ばかりだ」
と感じたが、案の定、千駄ヶ谷駅では、
ホームが満杯になるほど降車客ばかり。
自動改札機もパンクしていた。
電車を降りてから、
改札を抜けるまで20分。
駅前から人ばかり・・・。
写真は千駄ヶ谷駅前から東京体育館方面


そこらじゅうの人が、
「原発さようなら集会」会場の
明治公園をめざして歩く歩く。

集会は、
内橋克人、
大江健三郎、
落合恵子、
鎌田 慧、
坂本龍一、
澤地久枝、
瀬戸内寂聴、
辻井 喬、
鶴見俊輔
の9氏が呼びかけたもので、

1、新規原発建設計画の中止 。
2、浜岡からはじまる既存原発の計画的廃止。
3、もっとも危険なプルトニウムを利用する「もんじゅ」、「再処理工場」の廃棄。

の3点の実現を求めるものでした。

「5万人」が目標だったのに、
マスコミ発表でも6万人が
集まったようです。
なにせ、2万人が限度の明治公園
が一杯なのに、
後から後から人が動いて
来ているんですから。
写真は明治公園内
〈みごとに旗が林立しています〉


やはり、「原発が心配」
が人々の本音のようです。
主権者の意志の一つが表明されました。
これから、原発立地の
各地の運動が大切に
なってくるでしょう。

いよいよ秋と思いきや、また夏?

2011年09月19日 | 日記
9日は久しぶりに神戸で話をする機会があった。
40人ほどが全県下から集まって、
懐かしい新開地の4階会議室で約1時間。
商工新聞の役割について、自分なりにまとめができたと思う。
話し方は、相変わらず「トツトツ」だったが。
終了後、これもまた懐かしい旬楽で打ち上げ。
I田さんも相変わらず元気なようすだった。
ワイワイガヤガヤで楽しい時間(写真)

翌10日は、尼崎方面でI川教授と沖縄泡盛。
2軒めからは記憶が定かではなくなったようである。
無事に帰宅できたのは、相方と娘による「夜の大捜査線」のおかげであった。
先週は、夏が返ってきた。毎日汗だくで、洗濯機が活躍。
一体日本の気象はどうなるのだろう?

土日と、埼玉・浦和で「第17回中小商工業交流
・研究集会」があり、分科会運営担当で参加してきた。

全国から1300人が集まり、
中小業者分野の運動と経営の方向性について学習。
大震災、原発災害からの復旧・復興と中小業者の役割などが、
研究者と事業者の共通の議論になった。
円高・産業空洞化の新しい局面に対しても、
地域自立化型の経済振興が重要であること、
それは原発に頼らない地域づくりとも問題を一にしていることなどが、
改めて明らかになったように思う。
いよいよ諸問題が政治的争点として鮮明になる時期になっている。
今日は「原発にさようなら集会」。
このあたりが財界主導を転換させる当面のカギなのかもしれない。

今週は、木曜日までに編集仕上げという忙しいことになる。

《「どじょうすくい」と野田内閣》

2011年09月19日 | コラム
#60=2991
2011年9月19日付
《「どじょうすくい」と野田内閣》
 先週に続いて「どじょう」の話ですが、今度は「どじょうすくい」。島根県・安来地方の民謡「安来節」とともに踊る伝統的民俗舞踊です▼ひょっとこ面にざるを持ってドジョウをすくい、つかもうとすると指の間からヌルリヌルリとドジョウが逃げ出すさまと追いかける様子を踊っています。究極のお座敷芸とも言われ、それを見て笑わぬ人はいないほど大いに盛り上がるようです。とは言え誰がやっても面白いわけではなく、奥が深い。足さばきから腰つき、指の動きに表情まで、かなりの修練が必要だそうです▼この踊りは、諸説あるようですが、かの地方の名産であった「鋼」をつくるたたら吹き製鉄の原料となる砂鉄を砂の中から採取する所作から取り込んだとも言われています。山村の小作農が、砂鉄取りに駆り出され、ザルですくった泥の中にドジョウを見つけ、我を忘れて追い回す姿は、飽食の時代からは想像しにくい真剣さがあったのでしょう。踊りにもその真剣さがないと笑えないのかもしれません▼自称ドジョウの野田総理ですが、手のひらに載せるべき閣僚が次々と放言でたたかれ、指の間からこぼれています。ドジョウは総理ではなく、「日の目」を見て目がくらんだ閣僚たちで、総理は修練不足の踊り手なのかもしれません。