関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

《「超円高」と中小業者》

2011年08月29日 | コラム
#57=2988
2011年8月29日付
《「超円高」と中小業者》
 円高が急激に進行し「超円高」と言われています。19日には、ついに1ドル75円台に突入し、最高値を更新▼1年前の9月には84円台で大騒ぎでしたが、今年3月に76円台に急騰。G7の協調介入で85円台に引き戻したものの、7月にまた80円を突破。8月5日のアメリカ国債の格下げ発表前の4日に日本政府・日銀が単独介入して一時は下がったのですが、世界のマネーは、瞬間の利ザヤを求めて「ギャンブルゲーム」に踊り、世界経済を混乱させています▼お金が飢餓や貧困、災害で困っている人間のためでなく、相場の駆け引きによる利益目当てに、もてあそばれる状態は、それ自体資本主義の腐敗と限界を物語っています。しかし、直面する問題は日本の中小業者が受ける深刻な影響です▼産業空洞化が加速され、仕事の打ち切りや単価切り下げをはじめ、予想もつかない不況状態が出現します。政府は、「返済猶予」「ゼロ金利」など震災対策なみの中小業者支援策を、緊急に全国的に実施すべきです。さらに下請製造業に対しては「固定費補助」などの直接支援が必要です▼いよいよ9月です。こうした困難を乗り越える上でも、民商を大きくしなければなりません。商工新聞の購読者=読者を大きく増やしていきましょう。

写真は〈今年3月の霧島の別荘地〉
新燃岳噴火のあおりで、人里に
降りてきている鹿の群れと出会った

《核兵器廃絶と原発ゼロ》

2011年08月29日 | コラム
#56=2987
2011年8月22日付
《核兵器廃絶と原発ゼロ》
 原爆投下から66年目の長崎で、原水爆禁止世界大会に参加してきました。国連事務総長のメッセージ、国連代表、各国政府代表、世界の平和運動からの代表参加とともに、日本全国から7800人が参加するという、まさに「世界大会」にふさわしい大集会でした▼今年は、核兵器禁止国際条約の実現が、いよいよ現実的課題になっていることが鮮明になりました。日本の原水爆禁止運動は、これまで核兵器の使用を許さない世論をつくってきました。そして今、廃絶への道を切り開いています。▼今年のもう一つの特徴は、福島第1原発事故による人災が拡大する中で、放射線被ばくという共通点から、核兵器廃絶の運動と原発からの撤退の運動が、深く連帯する道筋がついたことです▼そして、こうした全国各地の粘り強い運動を支えてきた力の一つが、地域に根ざした各地の民商運動でした。それは、核兵器でも、原発でも、それを拡大しようとする勢力は、とりもなおさず庶民の生活を圧迫する福祉切捨てや消費税増税を狙っている勢力であるという現実を反映しているものと思われます▼身近な要求実現から人と人とのつながりを紡ぎだす民商運動が、平和と核兵器廃絶をめざすことは必然でもあります。「平和でこそ商売繁盛」です。

写真は〈8月の馬篭宿〉 
水車を利用した小水力発電施設

ノーモア・フクシマ

2011年08月11日 | 日記
6日から9日にかけて、「原水爆禁止世界大会・長崎」にフル参加。
福島原発事故による放射線被害の広がりの中での開催とあって、
核エネルギーそのものへの根本的対策の必要性が浮かび上がった。
今の原発の基礎に、原爆という人殺しの軍事技術、
したがって人間の生存を否定する、人類への敵対的技術があることが、
共通認識として広がっている。
海外からの参加者から
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」とともに、
「ノーモア・フクシマ」が叫ばれていたのが印象的だった。
9日の夜遅く東京に帰りついた。
出張が続いて、体力はかなり消耗しているようだ。
疲れている。
今夜からは、旧盆の混雑のなかを帰省。
ほぼ一年ぶりの墓参りだ。

写真は、木曽川から見た国宝犬山城。

《保安院の「やらせ」工作》

2011年08月11日 | コラム
#55=2986
2011年8月8日付
《保安院の「やらせ」工作》
 原子力発電の安全確保を図るために設置されたはずの原子力安全・保安院は、実は「原発推進」を扇動する国家機関だった。各地の「原子力シンポジウム」での「やらせ」工作・世論誘導の主犯が、「保安院」だったことが明らかになりました▼規制するはずの機関が、電力会社や原子炉メーカーなどと深くつながっている経済産業省の一機関であるところから、その正体は察しがつくところでしたが、「羊頭狗肉」とはこのことです。名前を「原子力危険推進・不安院」にでもしたらどうでしょう▼そんな機関が福島の事故への対処を指導しているなど、本来ありえないことです。問題は、扇動・推進してきた「原子力安全神話」で多くの人が被ばくし、混乱と実害が広がり続けていることの責任を誰がどう取るかでしょう▼それは国家と政府の名によって行うべきであり、その方針は主権者である国民が決定することです。そして、その前に、原発による利得に群がるあらゆる構造を見直し、反省と利権からの離脱を促さなければなりません▼さて、今年も8月15日が近づいてきました。あの戦争の惨禍に対する責任も、いまだ日本国政府は取っていません。そのこととも思い合わせ、政治を変える主権者の力を強くしたいと思わざるを得ません。

突然の悲報。そして杉原千畝

2011年08月06日 | 日記
8月1日突然の悲報がとどいた。
大学の先輩であり、元職場の先輩、
今の私の基礎をつくった姫路での生活を支えてもらった
T根さんの息子がなくなった。
彼が生まれた時から知っているのだから、
30歳すぎだろう。病気による突然死のようである。
芸大を出て、邦楽・筝曲で活躍していると聞いていたのに、残念なことだった。
何より、父親であるT根さんのことを考えると、悲しい、かなしい思いにとらわれる。
葬儀に行くことができなかったので、電報だけ打たせてもらった。
葬儀に参列したS田さんからのメール
『本当に悲しくて、つらいお葬式でした。
ご家族のみなさんにかける言葉も見つかりません。
憔悴した中でも、T根さんは、私達の心にとどく、
優しくて素晴らしい挨拶でよけいに涙をさそわれました。
こんな事ってあるんですね。いまだに信じられません。
ご冥福をお祈りするしかありません。』

写真は、伏見・深草墓苑。(2011年5月)
ここにも忘れえぬ人が眠っている。


3日から4日にかけては、職場の旅行であった。
馬篭から昼神温泉泊まり。翌日は岐阜の八百津町にある杉原千畝記念館。
その後犬山市までの日本ライン下りの行程。
杉原千畝、1940年リトアニアの日本領事代理として、
日本政府の指示にそむいて、ナチスから逃れようとする
6000人ものユダヤ人に「日本通過のビザ」を発行した。
当時の社会状況への理解も深めながら、
「人道への決断」の足跡がしのばれ、
命をつないだユダヤの人々の
感謝の思いがあふれる展示だった。
周辺は「人道の丘」(写真下)と名付けられている。


明日からは長崎。
原水爆禁止と原発事故による放射能被害根絶を考える4日間になる。