関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

7月のまとめ

2012年08月02日 | 日記
6月30日と7月1日は、二日とも会議で土日はつぶれた。

7月2日の週は、任務変更にもとづく、新たな体験や会議に参加。福島大原発事故にともなう損害賠償請求運動とも関わり、電力会社の担当社員との顔合わせ、挨拶なども行った。

7月7日と8日は、帰宅。

7月9日からは、参議院での廃案をめざす連日の宣伝行動。
7月12日は、税金問題での税理士さんや弁護士さんとの懇談にも臨んだ。
7月13日は、災害対策全国連絡会の運営委員会でお茶の水方面で会議。
7月14日と15日は、ともに会議。またしても土日はつぶれた。

7月16日は、代々木公園で「さようなら原発・10万人集会」 17万人が集まった。
何せ暑かった。少し熱中症になったようだ。
前日からK葉娘が上京してきて集会にも参加してくれた。去年の7・2集会(明治公園)にはS穂娘が参加してくれたり、自分の子どもと一緒に集会に参加できるなどとはありがたいことだ。これを幸せの一端というのだろうか。
集会後は、兵庫から参加の皆さんとも一緒に新宿でビール打ち上げ。
7月21日は、関西から例のI川教授がやってきた。例によって池袋で「宴会」。今回は、別の会議で上京していたE浦女史も参戦した。なんでもかんでもしゃべりまくり、最後は音楽の祭典まで・・・。教授は次の日のお仕事、女史は会議だったのに、大丈夫だったのだろうか。

7月23日から26日まで、東日本の事務局員交流会で盛岡のつなぎ温泉で会議だった。何年ぶりに盛岡へいったのだろうか。あのわんこそば大会が懐かしい。
会議は400人あまり。全体会で1時間ほどの報告をしたのだが、前週に壊れた入歯の具合が不安だった。話す分にはなんとかモッタので一安心だが、食べるほうは困った。ほとんど噛めず、飲み込む4日間だった。

7月27日、予約しておいた胃カメラの検査を朝行い、医師から「少し荒れているが大丈夫」のお墨付きをもらった。午後は壊れていた入歯の修復。これでがっちり、夕食はから揚げをかじった。

原発再稼働に反対する市民パワーに触れる日々

2012年08月02日 | 日記
6月23日は、明治公園で消費税増税反対をはじめ原発ゼロやTPP参加反対などをめざす大集会。24000人が集まった。そこで、和光学園のエイサー踊りの会の皆さんが、エイサーを踊ってくれた。先日北海道で見た太鼓の集団とは、また一風違うが、子どもたちに踊りを教える皆さんの真剣な姿がさわやかだった。
〈エイサー〉


6月26日、衆議院で消費税増税法と社会保障制度改革推進法の「一体改革法案」が採決され、法案は参議院に送付された。
会議を抜けて、午後3時半からの議員面会所集会、夕方の新宿駅西口宣伝に参加。少しボルテージの上がる行動となった。これ以後、参議院で廃案をめざす行動が続く。

6月29日は、金曜日ごとに首相官邸前に集合する「原発再稼動反対の行動」に初めて参加した。
午後6時頃からN山さんと二人で、歩き回り周辺の様子を見た。知り合いの議員の部屋から写真も撮ってみた。

〈官邸前集会:原発再稼働反対〉




とにかくすごい。続々と人が集まり、どんどん車道にあふれだしていく。実質的に国会と前は首相官邸周辺の道路は、広場となっていった。警察の警備も柔軟なものだ。機動隊ではなく交通課のやり方で対応している。背広組も動員して汗だくだ。「事故のないように」が基準の対応だろう。それ以外には対応のしようがないだろう。それもそうだ、参加してくるのは誰の指図でもなく、自分の意思のみで群れる人たちなのだから。しかも小さな子どもをつれてきている。「再稼動反対」の意思表示する以外の何も目的を持ってこないのだから。それは排除を許さぬ民主主義の強さだろう。待ち望んでいた民衆の力が表に出てきたのだと思える。それでも、その日警察は、最後には官邸前を機動隊のバスで封鎖してしまった。翌週からは機動隊が動員された。それでも警備の基本は「花火大会」や「祭」基準だそうだ。

〈首相官邸前6月29日〉


行動後、N山さんと新橋で一杯やった。
その後、突然愛用のカメラが壊れた。したがって、しばらく新しい写真は掲載できないのだ。携帯で撮ることはできるが・・・。