関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

「赤ひげ」そして1万人集会

2013年11月22日 | 日記
11月16日(土)
前進座の芝居「赤ひげ」を観た。国立劇場の小ホールであった。
(チラシ↓)


黒澤明監督の映画・赤ひげは以前に見たことがあったので、
おおよそのストーリー、テーマは理解しているつもりだったが、
眼前の生芝居では、そのテーマはさらに強調され、
観客を直接励まそうという演技者の気迫が感じられ、
快い気持ちで帰路につけた。
小石川養生所の医師・新出(赤ひげ)と新米の見習医師・保本が
市井の人々との触れ合いの中で、社会を告発し、
救えぬ己に怒りながら庶民に寄り添おうとする生き方を、
素直に受け入れさせてくれたいい芝居だった。
原作を読んでなかったので、
その後、古本屋で「赤ひげ診療譚」(山本周五郎作)を買った。
「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、
すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、
それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、
・・・だが、ついてゆけない者はいるのだし、
かれらも人間なのだ、
いま富み栄えている者よりも、
貧困と無知のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、
おれは却って人間のもっともらしさを感じ、
未来の希望が持てるように思えるのだ」

・・・赤ひげのせりふである

その日の夜、千葉を震源とする震度3の地震があった。
久しぶりに本格的な縦揺れに続く横揺れを体感した。
(写真↓ 翌日の事務所では揺れで戸棚が開き、中のものが飛び出していた)



11月19日(火)
夜の会議が、横浜であったので、
久しぶりに京浜東北線で、東神奈川駅まで移動。
(写真↓ 東神奈川から横浜の夜景)


11月20日は、昼の国会前行動、それに続いての要請行動、
夕方の宣伝とめまぐるしく移動をつづけた一日だった。

11月21日(木)は、
日比谷野外音楽堂で「秘密保全法に反対する集会」に参加。
1万人が参加した大集会となった。
出口で人だかりに巻き込まれ、身動きがとれなくなった(写真↓)


(デモの様子 写真↓)


11月22日は、新宿で街頭宣伝、そのあと会議
明日も明後日も会議だ

サザエさんは世田谷?

2013年11月22日 | 日記
11月13日(水)東京に来てはじめて世田谷区方面に用事で出かけた。
高級というイメージがあるが、
用事が優先であり、
あちこち観察する暇はなかった。
桜新町という東急電車の駅前まで行ったのだが、
例のサザエさん一家の銅像が並んでいた(写真↓)


波平さんの頭にはチャンと1本の毛が立っていた。
最近は盗まれないようだ。
近くに作者の長谷川町子美術館もあるようだ。
サザエさんは下町の人だというイメージがあったのだが、
世田谷の下町だったのだろうか? 
それとも思い違いだったのだろうか?

12日・13日とも昼の時間は、新宿駅西口で街頭宣伝だった。
「もう決まったこと」という人も多いが、
依然として消費税増税への抵抗は大きい。
反対している人は、ますますヒートアップしており、
4月まで黙っているとは思えない街の空気だ。

福島の飯坂と会津、京都で土門拳

2013年11月16日 | 日記
(福島駅前の古関裕而像↓)

(像の周りに古関氏が作曲した曲の名前が彫りこんであった)
(しかし、その中に『六甲おろし』は見当たらなかった)

(駅前から見上げた飛行機雲↓)


11月1日から3日にかけて福島に行ってきた。
2日は、福島市の荒川河川敷で行われた「原発に反対する全国集会」に参加。
7000人の人が集まった(写真↓)。


当日は「原発事故の損害賠償」を掲げたテントで署名を呼びかけたが、
さすがに地元である。これまでにない多くの署名が寄せられた。
となりのテントでは、写真家の森住卓さんの写真展が行われていた。
原発事故の直後から現場に入り、
放射能汚染の実態やその後の汚染の広がりを撮り続けてきた人だ。
「風下の村」という写真集を買ってみた。

1日の夜は、福島市の近郊・飯坂温泉に泊まった(写真↓)。


昨年秋についづいて2回目だったが、
今回は温泉の中心部の「鯖湖の湯」(写真↓)という場所であり、

松尾芭蕉の俳句碑(写真↓)もあるひなびた雰囲気だった。


お湯かけ薬師如来や江戸期からの屋敷(写真↓)が温泉街にうまくマッチしていた。


湯は熱い。

2日の夜からは、会津若松に移動。
地元の役員さんにお世話になり、特別な宿舎で一晩をすごし、
翌朝早くから「神指城跡」を案内してもらうなど、得難い体験ができた。
3日は、市内各所で宣伝などを行い、会津若松・鶴ケ城(写真↓)も眺めて、東京に帰った。


11月6日は、消費税に反対する全国会議。
午前中の行動に続き、午後から国会内で100人規模の会議
自宅では、N哉クンが今日からバイト(見習い)を開始した。頑張れ!

11月9日に西宮へ帰宅。
西北でいつものI川教授と一杯。
ずいぶん遅くまで飲んだようだ。
何を話したのか覚えていない。

10日は、京都・高島屋で開かれていた「土門拳写真展」を見た。
テーマは「昭和のこどもたち」。
戦前からの写真や戦後焼け跡の東京、
「江東のこどもたち」
「筑豊のこどもたち」
「ヒロシマ」などの作品から約200点が、
土門の微笑みと怒りをもって並んでいた。
そのあと、新幹線で上京しアパートへ帰ってみたら、
ハツカネズミがワナにかかって捕獲されていた。


久しぶりでこれで4匹目である。

10月後半…左から右まで、そして三河へ

2013年11月16日 | 日記
10月15日(火)は、臨時国会の開会日。
朝からの会議を11時半には中座して、日比谷公園からの国会請願デモに参加。
その後の院内集会では、予定外の発言をすることとなってしまった。
夜も、院内の会議室でTPP反対の集会実行委員会に参加。
民族派を名乗る人たちからも参加があった。
TPPは日本の国土を汚すという意見のようである。
もっともだと思う。
元農林大臣や先日初当選した元タレントの議員も参加していた。
左から右まで勢ぞろいしたような壮観な会議だった。
一点共闘はこうして、一人ひとりの主観を超えて広がっていく。

10月17日(木)は、午後からお茶の水で会議、
そのあと原発完全賠償を求める税理士グループとの会議があり、御徒町まで移動した。
お茶の水から徒歩で移動できるようになった。
時代小説で見かける古い地名があちこちに見られた。
少しは土地勘ができたのかな。

(東京の一風景)


会議では、11月2日の福島での「原発なくせ」大集会への参加が決まった。

19日・20日と西宮の自宅に帰宅した。
おりからの神戸市長選挙の様子を聞きに元町大丸前へ。
明日は、全中連(全国中小業者団体連絡会)の省庁交渉となる。

10月21日は、全国中小業者団体連絡会による各省庁との交渉。
全国から約100人がそれぞれの要望を抱えて参加。
8ヶ所の省庁との交渉が行われた。

10月23日は、消費税増税中止の署名を国会に提出。
約24万人分を議員に手渡した。
その夜から愛知・豊橋へ出張。
各地の新事務局長の皆さんの研修会に参加。
基礎的な学習と討論を共にした。
(写真↓ 豊橋の海・三河湾)




10月26日は、京都でとある会食。
駅ビルの伊勢丹11階のレストランだったが、京野菜のせいろ蒸しというのが美味しかった。

花巻へ

2013年11月12日 | 日記

10月13日と14日は、
災害対策全国連絡会の被災地交流会で、花巻へ行った。
8時に上野駅から新幹線に乗り、
11時前に新花巻駅着。
そこからバスで30分で花巻温泉だ。
昼食のためホテルの最上階でバイキングを食したが、
そこからは花巻地方が一望できた。
(写真↓)


宮沢賢治の世界がそこにあった。
広々とした農地。
だれもが大地に帰依する土地と歴史がそこにあるのだろう。
交流会には全国から280人が参加(写真↓)。


阪神・淡路大震災以来、この分野の活動に携わってきたが、
改めて19年近い運動の足跡を見つめ返す機会となった。
神戸方面からも多数の知り合いが参加していた。
夕食懇親会では、懐かしく語り合うことができた。
中小商工業者の復興を語る分科会では、
グループ補助制度や二重ローン対策の制度の活用など、
一歩前進した制度活用の現在の到達点が交流され、
新たな観点での地域復興の課題が明らかにされた。
(写真↓ 花巻温泉の山)


14日は、盛岡まで車で送ってもらい、
新幹線はやて号に乗って上野に帰ってきた。
この日、東京・国会周辺では4万人の反原発行動が成功していた。