関東暮らし

関西人から見た関東暮らしの出来事を記す

義父・叔母の訃報、参議院選挙、電源・・・

2016年09月19日 | 日記

(滋賀・菩提寺PA)

7月7日(木)西宮に帰宅したところへ、高崎に住む義父の訃報が飛び込んだ。
2日に倒れ意識不明で入院したままであった。
90歳の大往生だった。
前日にF子が日帰りで見舞いに行き、声をかけれたのが幸いだった。

7月8日(金)は、事務所に休暇をもらい、F子・N哉と3人で高崎へ車移動。
翌9日の葬儀に出席、10日には再び西宮へ帰り、
そのまま新幹線で上京するという強行軍の3日間となった。

7月10日(日)参院選投開票日
 予想を超える自公・お維新等という
 「改憲派」の3分の2の議席占有の事実にしばし唖然。
 一方で「野党共闘」11の1人区勝利に救いが見えた。
 しかし「野党共闘ができていなかったら」と考えるとなお慄然。
 要求にもとづく共同の市民運動と政策の一致を追求するしかない。
 長い間考えてきた統一戦線の実現は、これから紆余曲折を経ながら具体的過程に入る。

7月15日(金)は再び倉敷民商弾圧事件での最高裁要請
7月16日(土)午前中は事務所周りの草刈作業。その後新幹線で帰宅

7月17日(日)は、S穂嬢と食事。
ますます腹が大きくなった。いよいよだ。

午後、京都・西京の桂坂へ、
 7月3日亡くなり、5日に葬儀があった叔母の家に線香をあげに訪問。
 思えば50年以上前、おそらく1960年ごろだろう。
 私は4歳だったか? 私の母の弟にあたる叔父の祝言が、
 奥出雲の阿井・内谷で行われた。その時の写真があるはずだ。
 山間を縫うように走るバスに乗って母に連れられて行ったが、
 その時の花嫁がまさに亡くなった叔母である。
 打掛と角隠しだった。A兄もそこにいた。

7月18日(月)は休日(海の日)だったので自宅の
近所をN哉君といっしょにウォーキング。
 その後上京したのだが、東京のアパートに帰ってみると、
 TVが点いていた。間違いなく消して出たはずである。
 この間3回目の出来事。
 前2回は、「いよいよ儂もボケたな」と考えたが、そうではなかった。
 その後、何度か実験してみてわかった。
 TV受像機そのものがこわれ、
 電源がつながっていると勝手にスイッチが入るようになっていたのだ。
 購入7年も経つのだから耐用年数超過と言えば仕方がない。
 アパートを出るときには電源を抜くことにした。

高知から徳島、兵庫へ

2016年09月19日 | 日記

(高知城)

7月1日(金)夕方、羽田から高知空港へ向かった。
 翌日からの高知・徳島方面の活動を激励するため副会長のK賀さんに同行した。


(山原健三郎記念館)

7月2日(土)高知県の東部の民商のあつまりが香美郡民商で行われた。
7月3日(日)の朝、市内繁華街にあるホテルの目の前で
「日曜市」が行われていたので見学した。
400店舗以上だそうだ。
地域のにぎわいや実際の経済振興にも役立つ市である。
少し観光が主流のような気もしたが・・・。


(とさでん交通の線路…国道と並行しているのだが、道路と軌道の境目がない。驚)

その後、県西部の民商の集まりに出席(須崎民商)。
午後は高知民商の総会に顔を出してから、徳島に移動。夜の集会に参加した。

(徳島駅)


(徳島市内のレストラン)


翌7月4日(月)は、朝から徳島市内の民商会員の訪問活動。
その後バスで神戸に移動。

7月5日(火)から3日間、兵庫県内の民商事務所・役員のところを訪問。
6日は、宍粟のS津氏宅に寄宿させてもらい、ご家族ぐるみの歓待を受けた。


期日前投票

2016年09月18日 | 日記

(西宮より西方をのぞむ)

6月26日(日)帰宅し参議院選挙の期日前投票を済ます。
 地域のビラまきを行い、壊れたパソコンデータ復元を依頼しに
大阪第3ビルへ行き、そのまま上京した。
パソコンデータは結局復元不能だった。


原発損害賠償打ち切りの動き(政府・東電)

6月27日(月)福島原発事故の損害賠償対策の会議が須賀川であった。
 福島原発事故による営業損害賠償は、風評被害者も含め、
東京電力が賠償をすすめてきたが、5年を経過し、
昨年6月政府が「通常賠償1年分の2倍を一括賠償」する
ことで「収束」させるとの方針を閣議決定し、
その算定をめぐって、被害を受けた事業者と
東電の話し合いが続けられている。
 しかし東電は、これまで合意してきた算定方式の見直しを求め、
実質的に賠償額の切り下げやゼロ回答が強行される事態がひろがっており、
その解決にむけた対策を話し合った。
 安倍内閣と東電は、基本的に原発再稼働・輸出を国策として進めるために
福島事故を過去のものにしようとしているのであって、
「一括賠償」は原発事故の被害も終息したことにするための
既成事実をつくろうとするものであり、
原発事故のために営業と生活が困難になっている
被害者の足元を見た「分断策」にほかならない。


再び熊本へ

2016年09月18日 | 日記

(水前寺公園にも地震のつめ痕)

6月18日(土)朝9:30にガス点検を迎え、何事もないことを確認してから出勤。
 任務変更に伴い、事務所の机移動などの作業を行った後、
夕方の飛行機で熊本へ向かった。

6月19日(日)午前中熊本の事務所で資料づくりを行ったのち、
地震被災業者向けのグループ補助制度の学習会に参加した。

 講師は、東日本震災の時に
この制度活用の道を開いた気仙沼民商の事務局長であり、
実践的な話が聞け、参加した皆さんも制度活用に挑戦する気概が湧いたと思われた。


(地蔵尊・熊本市内)


(水前寺公園)


(路面電車・熊本市内)

翌6月20日(月)朝帰京。
 熊本空港までのバスが35分遅れ、
飛行機に乗れるかどうかイライラであった。

6月21日(火)定例の健康診断。異常なし。
6月22日(水)参院選公示
6月23日(木)午後、信用保証制度の学習会への参加要請で
自治労連・全労連・中小企業団体中央会を訪問。
 その合間をぬって原水協(原水爆禁止日本協議会)のT田女史を訪ねた。
久しぶりだったが、相変わらず忙しく世界を飛び回っているようだ。


最高裁・岡山地裁、事務所前でカエル

2016年09月18日 | 日記

(最高裁判所)

6月13日(月)倉敷民商弾圧事件の上告審に向け最高裁への要請行動だった。
 豪雨の中最高裁正門前で宣伝行動、その後院内で報告集会を行い、司会を承った。
6月14日(火)事務所当番をT尾さんに交代してもらい西宮へ帰宅。
 翌6月15日(水)朝からの倉敷事件・禰屋裁判の傍聴に参加した。
 今回の法廷は60人程度の傍聴席しかなく抽選のため多くの人が法廷内に入れなかった。
 これまでは先着順で、開廷中でも傍聴券の交換ができたので、
途中交代でみんなが入れたのだが、今回は当選者だけが腕にテープを巻かれ、
取り外したら使えないため、交代もできなかった。
 一方で、裁判官が傍聴者より早く着席し、
傍聴者を迎え入れるという手順がとられ、
開廷の「起立・礼」がない、という新味も体験した。
裁判長が交代したためであるが、
訴訟指揮は裁判長の独断で決まるようである。

6月16日(木)事務所当番を終え、裏口をでたところ、
カエル(写真)と出会った。
 雨の中どこからか出てきたようだ。