この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。
投稿日時も、そのままにしています。
過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。
カテゴリーをクリックして頂ければ、見やすくなるかと思います。(ペコリ)
2004年(平16)3月23日(火)
資料科から、また違う科へ異動した。
この異動した科には現在も籍を置いています。
この頃、職場の改組に伴い職場の長も交代である。
予定は
同年3月28日(日)科の廃止式
同年3月29日(月)組織完結式
であった。
勤務環境が変るのは、私自身の病気からしても
すぐには対応出来ませんでした。
それよりも
新たな科になることで、私を知らない人が多くいたという
事でした。
職場の改編は、2つの組織が一つになることでした。
前からいた職場の人は私を分かっていましたが、
もう一つの別の職場の人は私を知りませんでした。
しかし
2004年(平16)3月、4月は、それなりの
仕事が貰えたときでもありました。
それは
O科長が妻と話し合いをして貰い、
病気を理解して貰えたからにほかなりません。
2004年(平16)3月31日に新しく着任したT長の挨拶がありました。
また
新しく私を知らない人からは、
『健康を害しているのに、何故たばこを吸っているのか。
本当に治す気があるのか!』と正面から毎日のように
言われました。
それに対し、
私は心の中で「耐えるんだ」と言い聞かせていました。
『病気だから仕方無いんだと』心の中で念仏のように唱えていました。
2004年(平16)年1月の勤務は
19日間の勤務中
発作3回(1/8日,1/14日,1/22日)であった。
原因は対人関係でした。
2004年(平16)年2月の勤務は
20日間の勤務中
発作3回(2/3日,2/4日,2/5日)
原因は分からない。
2004年(平16)年3月の勤務は
23日間の勤務中
発作2回(3/4日,3/29日)
原因は、組織の改編が影響していると思われる。
この期間、体力が落ちていたので
片道約3Kmを駆け足(徒歩)通勤をしていました。
とにかく
1日も早く病気を治したい一心でした。
次回は着任して来たT長について書きます。