今日は68回目の原爆記念日だ。
そう、うさぎちゃんが8歳の時だった。今77歳、婆と呼ばれる歳になった。
いくら記念日を数えても、原爆が投下された事実は消えない。
当時の事を思いだすだけで胸が痛む。
何もない暮らしだったが、うさぎちゃんは親の庇護のもとに過ごせたが、
街にあふれた戦災孤児たちはその日その日の糧を求めて焼跡をさまよっていた。
ほんとうに悲惨な暮らしだった。
うさぎちゃんは戦争を知っている最後の子供だと思っていたが、彼等のこと思うといつも涙があふれてくる。
彼等も原爆被災者の方々も年々すくなくなって来た。やがて忘れられていくのかと思うとやり切れない。
今日、ご近所のKさんに誘って貰って南部コミセンで開催している「楽らくクラブ」に入会、はじめて出席した。
この会は町主催で要介護者になる前の人に入会を勧誘しているそうだ。(住民検診で機能の落ちている人に)
それを社会福祉協議会が委託されて開催しているそうだ。
何も知らないうさぎちゃんは申し込みをしたら、面接に来られ身体が該当するからと入会し、今日初めて出席した。
今日の体操は椅子にかけたまま首や腕、手足を動かす極簡単は体操だった。
後は栄養士の食事についての話。よく聞こえなかった。傍の人はみんなそういっていた。何時もだと講師は真中に来て話すそうだが今日は前で話された。
次の会は体力測定だ。これまでは悪くはなかったがこんどはどうかな?
送迎車が来て居て誰でも乗せて貰えるそうだ。うさぎちゃんはマルアイへ行くより近いので歩いて帰った。
行って驚いた。知っている人が沢山来ていた。Hさんは5年、Yさんは2ねんと皆長く来ている人ばかりだ。
Yさんはうさぎちゃんに「老けたね」って言われた。違いない。自分でも解るもの。
彼女どうしてだか知らないが、足引きずって歩いているのちょいちょい見てたもの、その頃からきてたのかな、、
行ってすぐに血圧測定、うさぎちゃんは120、78だったが脈は92だった。脈はよく早くなる。
朝出る前にkさんから、今日は栄養士の話だから、メモと冷房がきついので膝掛け、上着を持って行くように電話貰った。慌てて2階に取りに上がったりした所為かな?
お茶を持って行ったがいらなかった。行ってすぐに「熱いにか、冷たいのか希望を聞いて汲んで貰った。途中でも汲んで貰った」
会員はうさぎちゃんも入れて17人。
これからおいおい様子が解るだろう。