今日から11月。あっという間に今年も終わりだ。
先日からかたずけしているが、どうして捨てられないのかなと思う。出してあっちへ入れ、こっちに入れするだけだ。しばらく出さないものはあるのも忘れている。
それでへえ-こんなんあったんだとだしておく。又入れ替えの時にしまう。
この繰り返しで一向に減らない。
本はたまると気前よく捨てる。確かあの本にかいてあったなあ、、と見たいと思っても捨てた後だ。それはそれでいいのだが。
使わなくなった食器も増える一方だ。変わったお料理しなくなったのと、いつも使っている食器で間に合わせる。
その点、亡夫はきっちりしていた。ちょっと合わない食器を使うと、この皿無いのんかとか、この鉢ないのんかというのできっちり合う食器を使っていた。
今はかたずけが簡単に出来るのが主体になっている。
母がよく不精は死ぬほど悲しいと言って、私たちに無精せづにきっちりするようにと教えてくれた。それをよく憶えているが体がしんどいのが先にたち、ついつい無精をする。
でもお正月だけはきちんと出して盛り付ける。これしなくなったらけじめがなくなる。
先日からかたずけしているが、どうして捨てられないのかなと思う。出してあっちへ入れ、こっちに入れするだけだ。しばらく出さないものはあるのも忘れている。
それでへえ-こんなんあったんだとだしておく。又入れ替えの時にしまう。
この繰り返しで一向に減らない。
本はたまると気前よく捨てる。確かあの本にかいてあったなあ、、と見たいと思っても捨てた後だ。それはそれでいいのだが。
使わなくなった食器も増える一方だ。変わったお料理しなくなったのと、いつも使っている食器で間に合わせる。
その点、亡夫はきっちりしていた。ちょっと合わない食器を使うと、この皿無いのんかとか、この鉢ないのんかというのできっちり合う食器を使っていた。
今はかたずけが簡単に出来るのが主体になっている。
母がよく不精は死ぬほど悲しいと言って、私たちに無精せづにきっちりするようにと教えてくれた。それをよく憶えているが体がしんどいのが先にたち、ついつい無精をする。
でもお正月だけはきちんと出して盛り付ける。これしなくなったらけじめがなくなる。