ダイニングバー PRIMO HITS(プリモヒッツ)中央区南2条東2丁目2条市場北側 定食500円 ナポリタン650円 プラスコーヒー100円 安くて結構美味い。
北大100年記念会館で、『子どもの生きづらさを考える~自閉っ子の「困らな感」と「がっかり感」~まるまる一日ニキ・リンコ』と題した講演会を聞く。
講師のニキ・リンコさんは、自らをアスペルガー症候群、自閉症スペクトラムと公表し、著述活動をしている。
当ブログでも、2007.10.27に「俺ルール」というニキさんの著作を取り上げた時にはコメントが多数寄せられ中々いい論争が起こった。その後、2008.1.13にも「自閉っこ、深読みしなけりゃうまくいく」を取り上げた。
午前中の講演では、本人の物事を認識する方法、そのため時々ニキさん特有の「事件」が起こることなどを実際の体験を踏まえて話された。
例えば、物事の認識、理解を音声を中心にする人、画像を中心にする人、間隔優位か視覚優位か?また、全体を認識できず、細部の記憶やこだわりが強くなってしまうなど。
エピソードでは、たまたまマックで求人募集が出ていた時にお腹が空いていて美味しかったら、求人募集が出ているとマックに入ってしまう。自転車を買うとき、本当は性能の高いのがほしかったのに、色で選んでしまった。地図を記憶して行ったのに、記憶が変形して迷ってしまったなど、が紹介された。
認識の特徴は人それぞれだろう。私は視覚型だと思う。受験勉強は、参考書、ノート、黒板の画像を思い出して解答したと思う。私は、方向音痴です。地下街から地上に出たり、雑居ビルから表に出ると方向がわからなくなることが多い。
正常と異常、障害と健常、支援者と被支援者・・・境界はとても曖昧だと思う。我が内なる欠陥、欠落事項も多いと感じる。しかし、人間には物事を認識するため、理解するために線を引く分類する習性があるのではないか。それも、様々な差別のように悪意からではなく、支援者の心根のような善意を以って。
ただし、善意の支援者には、その善意に含まれる差別を感じる感性が欠落していることが多いように感じる。なぜなら、支援者は自分が余りにも正しいことをしていると一方的に思い込んでいるゆえに。
それを、「福祉の悪事」と名付けたら挑発的だろうか。
北大100年記念会館で、『子どもの生きづらさを考える~自閉っ子の「困らな感」と「がっかり感」~まるまる一日ニキ・リンコ』と題した講演会を聞く。
講師のニキ・リンコさんは、自らをアスペルガー症候群、自閉症スペクトラムと公表し、著述活動をしている。
当ブログでも、2007.10.27に「俺ルール」というニキさんの著作を取り上げた時にはコメントが多数寄せられ中々いい論争が起こった。その後、2008.1.13にも「自閉っこ、深読みしなけりゃうまくいく」を取り上げた。
午前中の講演では、本人の物事を認識する方法、そのため時々ニキさん特有の「事件」が起こることなどを実際の体験を踏まえて話された。
例えば、物事の認識、理解を音声を中心にする人、画像を中心にする人、間隔優位か視覚優位か?また、全体を認識できず、細部の記憶やこだわりが強くなってしまうなど。
エピソードでは、たまたまマックで求人募集が出ていた時にお腹が空いていて美味しかったら、求人募集が出ているとマックに入ってしまう。自転車を買うとき、本当は性能の高いのがほしかったのに、色で選んでしまった。地図を記憶して行ったのに、記憶が変形して迷ってしまったなど、が紹介された。
認識の特徴は人それぞれだろう。私は視覚型だと思う。受験勉強は、参考書、ノート、黒板の画像を思い出して解答したと思う。私は、方向音痴です。地下街から地上に出たり、雑居ビルから表に出ると方向がわからなくなることが多い。
正常と異常、障害と健常、支援者と被支援者・・・境界はとても曖昧だと思う。我が内なる欠陥、欠落事項も多いと感じる。しかし、人間には物事を認識するため、理解するために線を引く分類する習性があるのではないか。それも、様々な差別のように悪意からではなく、支援者の心根のような善意を以って。
ただし、善意の支援者には、その善意に含まれる差別を感じる感性が欠落していることが多いように感じる。なぜなら、支援者は自分が余りにも正しいことをしていると一方的に思い込んでいるゆえに。
それを、「福祉の悪事」と名付けたら挑発的だろうか。