晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『聖家族』

2009-03-12 21:17:17 | Weblog
 「何もしないうちに、時がどんどん流れていく感じ。」と思う時があります。

 ごく限られた人を除いて、人はルーチンな日常を繰り返しています。何もしていないという意味は、「無為」ということではないと思います。人は、「ここの今」を生きるしかありません。

 例えば、ある地方議会議員が、俺は国会議員レベルの人間だ。こんなところでやってられないと思っても、今の彼には、地方議会で活動する以外に方策はありません。

 しかし、今を否定することは、未来へのエネルギーになる可能性を含んでいます。

 このようなブログをやっている人が随分といますが、私も含めて何か自分の「証し」を残したいと思っているのではないでしょうか。それで、何かをやっているような気分になっているのも事実です。



 『聖家族』(古川日出男著 集英社 2008年刊)

 年末の新聞で恒例となっている「今年のベスト3冊」で、各紙の書評子が絶賛していたので、正月休みに小説でも読もうと思って購入した。

 738ページ、上下2段組みの長編、2ヶ月半かかってようやく読破、よく途中で捨てなかったと自分に感心、ほとんど毎夜の寝床読書、10ページも読むと必ず睡魔に襲われる、睡眠薬が入っているような書物。

 繰り返しフレーズの多いクドイ文体、マッタリとしたストーリー、血も沸かず、肉も踊らず、読み手が悪いのかストーリーも印象に残らず、なぜあのように評価されているのか、全くわからない。

 最後まで読み通せた理由もわからず。一言で言うと駄本、詐欺本、お薦めしません。

 ある一家が東北の各地を転転とする。時代も現代から過去まで行ったり来たりする。一家に流れる「血」を描いているのか、はたまた東北の独特の「土地」なのか、読む力の無い私には、不明なことばかりであった。
コメント
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