著者は、レーニンの革命に対する考え方として、『革命という言葉は、「いまここ」の世界がまったく違うものへと変容するということを含意するわけだが、同時に新世界は「いまここ」の世界からしか生まれようがない。つまり革命とは、断絶かつ連続であるほかない。』(P16引用)と述べる。
この言葉から私は、発達心理学者の浜田寿美男氏の言説を連想する。氏は、健常者、障害者ともに、私たちはそれぞれが今持っている力を使って「いまここ」を全力で生きる以外にない。その結果として、力が身につくことがある。別の世界が開けることがある。という。
レーニンの無政府主義者との違いは、連続性の思想かどうかであり、レーニンは徹底した現実主義者である。
しかし、一方では、「ここではない、もっと別の、もう一つの」断絶した世界を夢想し、そのために現実から飛躍した実践家としてのレーニンもいる。ここに、悲劇が生じる原因があるのではないか。
私も若い年代の頃に感じていたが、おそらく多くの方も経験したのではないかと思うが、今の自分は本当の自分ではない、もっと別の自分があるはず、こんなはずの自分ではないという思いである。
しかし、自分を、現実を知るにつれて、「いまここ」以外の自分はありえず、「いまここ」から始める以外ないということを徐々に知ったのである。
この言葉から私は、発達心理学者の浜田寿美男氏の言説を連想する。氏は、健常者、障害者ともに、私たちはそれぞれが今持っている力を使って「いまここ」を全力で生きる以外にない。その結果として、力が身につくことがある。別の世界が開けることがある。という。
レーニンの無政府主義者との違いは、連続性の思想かどうかであり、レーニンは徹底した現実主義者である。
しかし、一方では、「ここではない、もっと別の、もう一つの」断絶した世界を夢想し、そのために現実から飛躍した実践家としてのレーニンもいる。ここに、悲劇が生じる原因があるのではないか。
私も若い年代の頃に感じていたが、おそらく多くの方も経験したのではないかと思うが、今の自分は本当の自分ではない、もっと別の自分があるはず、こんなはずの自分ではないという思いである。
しかし、自分を、現実を知るにつれて、「いまここ」以外の自分はありえず、「いまここ」から始める以外ないということを徐々に知ったのである。