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『おせっかい教育論』 その1

2011-07-10 20:47:33 | Weblog

 『おせっかい教育論』(鷲田清一、内田樹、釈徹宗、平松邦夫著 140B 2010年刊)

 

 大阪大学総長、神戸女学院大学教授、浄土真宗本願寺派住職、大阪市長が2夜に渡って教育をテーマに語り合った記録。含蓄のある発言については、「その2」でMEMOする。

 

 教育のあり方については、いつの時代でも議論のテーマとなっている。私が30数年前に勤めたある進学塾(札幌A進学院)での経験から教育を考えて見たい。

 

 進学塾は、良かれ悪しかれ極めてシンプルな原理に基づいて運営されている。ある意味、現在の教育分野での論点のうちかなりの部分がそこに表出する。

 

 進学塾の目的は、生徒の成績を上げて生徒及びその保護者の希望する高校の選抜試験に合格することである。もちろん経営主体は民間である。そこには、市場原理が貫かれている。結果を出さないと同業他社との競争に負ける、従業員の待遇も下がる。保護者は、「子どもの未来のために」良かれと思う塾を選択し、授業料を投資する。

 

 一方、公立学校が大半を占める北海道にあっては、教育は公立の独占状態にある。そこでは独占ゆえの様々な弊害が生じていると思う。競争性が無いことによる労使の慣れ合い、生徒そっちのけの組合的な既得権が現存している。学校選択性が導入されているとはいえ、保護者の学校選択権はかなり制限をされている。

 

 塾の評価につながる学力とは、入試科目にある教科だけのテスト成績である。成果指標は極めてシンプルである。入試以外の科目は学校での内申点は重要だが、塾はそれに関与できない。成績を上げるための方法論は、それぞれの塾独自のノウハウはあるものの、基本的には繰り返し繰り返し練習問題をやることでテストに慣れさせ、一種の刷り込みが基本になる。

 

 北海道の子どもたちの学力テスト結果は、全国でも最下位に属している。このため、北海道の教育長は、平成26年までに全国平均を越すと目標を表明した。塾産業から見れば方法論としては簡単である。主要教科以外の教科にかける時間を減らし、総合的学習や人間教育などを排し、ひたすらテスト問題の「傾向と対策」に慣れさせるのである。ここでは、真の教育とは何か、真の学力とは何か、といった議論は捨象される。

 

 塾産業の現状を見れば、現在のところ、教育の市場化論者の主張も中途半端に聞こえる。

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