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『吉本隆明「心的現象論」の読み方』 その4

2013-07-09 20:50:37 | Weblog

 『吉本隆明「心的現象論」の読み方』(宇田亮一著 文芸社 2011年刊) その4            

 私は、生半可な理解ながらも、本書から個人幻想、対幻想、共同幻想という「ヒトの心の見取り図」をもとに、時代精神を捉えることのできる道具を手に入れることができたと思う。

 参議院選挙が迫っており、争点は「ねじれの解消」と伝えられるが、それは争点では無く選挙の結果であろう。私は、共同幻想の視点から投票率に注目したい。それは消去法で選択しても答えのない政党状況の中、大衆は国家という共同幻想にどこまで失望しているかが数字として表れると思うからだ。

 宇田氏は本書の最後でいう。現在の“きつさ”は、〈人は生涯、競争して自分だけは生き延びろ〉という生活を強いられているからだ。「自分自身のために頑張りなさい」「自分の夢を追いかけなさい」という時代のメッセージが聞こえるという。それは、「お国のために」「会社のために」などという共同幻想を破壊した反面、人と人とのつながりをも断ち切ったのだ。

 「私はデキル人間だ」「私はプラス思考だ」「私はポジティブだ」と〈強迫的に“個”を強調すること〉が生きる上で大切な心得となっており、かつて無いほど〈自分を賢そうに見せる時代〉になっているという。

 この時代精神の中に子どもたちは投げ出されている。“普通の子ども”では駄目なのだ。“特別な付加価値”を持つことを強要されている。“ふがいない自分”“みっともない自分”に直面した時、子どもたちは「ふがいなくても、みっともなくても生きてりゃいいんだ」と言えなくなっている。誰もが“自分の夢”を語らなくては生きることを許されなくなっているのである。

 今、教育現場では子どもたちに「生きる力」を身に付けさせることが目標となっている。「夢」や「希望」を抱き、「大きな志」を持って目標に向かおうというベクトルはあまりにも一方方向を向いていないか。このメッセージは、子どもたちを追い詰めていないか。みっともなくてもいいんだよ、という「生きる力」があるべきと考える。

 吉本隆明は自戒を込めて、「うちは夫も子どもも申し分なく、並びなきいい家庭を作りました、と言えることができたらそれでいいんじゃないか。」という言葉を残している。

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