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長谷川宏 『日本精神史』 三内丸山遺跡 

2015-11-18 20:07:01 | Weblog

 フランスで起きた(テロ?)事件を口実に、アへ首相は安保法制の次に治安立法を提出してくると予想する。「社会の変革」を唱えることイコール「民主主義の否定」として、民主主義を否定する可能性のある政党や結社を非合法化するのだ。日共が、これまでと一転して国民連合政府構想を民主党などに呼びかけている理由は治安維持法の復活、レッドパージの再来を恐れているからではないか。

 

 三内丸山遺跡

 『日本精神史(上)』(長谷川宏著 講談社 2015年刊)の僕の読み方

 著者は在野の哲学者であり、本書はこの国の書物、宗教、建築物、造形品などを素材に、それらを宗教意識、歴史意識、倫理意識、美意識の4つの側面から分析した精神史としてまとめ上げた大作である。

 僕は、通読するだけでなく、どうしたらこれを自分の中に落とし込むことができるかと考えた。そこで、数は全く少ないのであるが本書で取り上げられたものの内、自分で実際に見たものについて、その時に感じたことなどを思い出しながら読んでみたいと思った。

 本書の第一章は、「三内丸山遺跡―巨大さに向かう共同意識」から始まる。僕がここを訪れたのは2009年8月のことである。このブログでは、2009.8.15(『マルクスの逆襲』)に、「青森県三内丸山遺跡は、約5,500~4,000年前の1,500年間も縄文人が生活していたところです。このやぐらは、残っていた基礎の大きさから想像して作ったもので、用途は不明です。集落のシンボルなのか、倉庫なのか、舞台なのか・・縄文人は、ここで原始共産制社会を営んでいたのでしょうか。」と書いた。

 三内丸山遺跡に足を踏み入れて感じたことを思い出すと、この平坦で広大な空間(数十ha)は、川や海から近いのだろうか。山も見えないが近くにあるのだろうか。レストハウスで古代米という赤いお米が売っていたので、縄文時代なのに、それも最北端の青森で既に稲作が始まっていたのだろうか、と早とちりをしてしまった。

 この高いやぐらと100人も入るような大きな建物を一体何のために立てたのだろうか。村人が集まって何か統一的な意志の元、このような建築物を作ったのは、あまり序列の無い平等な社会だったのか、長の権威を示すためだったのか、今もわからない。

 著者も4,500年前の縄文人がなぜこのような巨大な建築物(縦8.4m、横4.2m。高さ14~21m)を建てたのであろうかと考える。彼らは、既に高度な建築技術、大人数による共同作業ができる組織性を有していたのだろうかと想像する。

 著者いわく、「地面から建物に沿って上へ上へと登っていく視線は、上昇するにつれて、見る者の心を広大な天の空間に向かって解き放つ」「自然と張り合う自分たちの共同の力を実感し、自分たち独自の物を作り出す創造の喜びを感じていた。」また反面「自然に立ち向かう自分たちの弱さ、失意と挫折感と敗北感の中でも、もっと持続するもの、もっと力強いものを作りたいと思ったのではないか。」と「共同」を強調する。そして、権威の象徴なのか、ただの物見やぐらなのかは語らない。

 僕は、精神の共同性を讃えるのは一面的な評価だと思う。共同性には、その裏に権力性が伴うからである。一人びとりがフラットな関係では無く、力の強弱の発生、人が人を支配する関係ができたことを示していると思う。

 

 

 

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