晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

白井聡 『「戦後」の墓碑銘』

2015-11-29 09:46:54 | Weblog

 前の会社を定年退職して4月から新しい会社に入りましたがストレスの激減という環境変化になじめず、7月に大病を患い、身体も心もマイナスベクトルの2015年でした。早いものでとは今年に限り全然感じていませんが12月になります。来たる2016年は、身体も心もプラスベクトルにと思っています。そのために、マラソンウォッチを新しくして、ネックウォーマーを購入。寒い日もリハビリトレーニングをしようと思っています。目標:GWの豊平川マラソンで10kmを走りたい!

 

 『「戦後」の墓碑銘』(白井聡著 金曜日 2015年刊)

 白井氏は、『永続敗戦論』でそれまでのレーニン研究という原理論的なスタンスから、現実政治にコミットする時事評論を手掛けるようになった。本書も、『永続敗戦論』で提示された永続敗戦レジーム、①無制限対米従属、今回の安保法制はその具体化、②アジア諸国に対する敗戦の否認、現在の中韓との政治摩擦の激化、というフレームを引き続き継承している。というよりも自らの理論が現実分析にいかに有効かばかりに固執しているようで、本書においては特に永続敗戦レジームの論理に進化は見られない。ということは、『永続敗戦論』を読んだ方はあえて本書を読む必要が無いということである。

 本書を読後、僕に残った疑問がある。この間のアへ政権の対米従属の深化情況を踏まえ、従属が極まれば極まるほどその限界に達し、そこから自立への転化が始まるとする白井氏の論理はあまりストンと落ちない。

 従属から自立への転化の論理は、内田樹氏の分析の方が優れていると思う。それは、かつてのこの国の政治家や官僚は、米国に対して面従腹背であったというものである。アへの祖父岸信介らは、1960年の安保条約締結で対米従属姿勢を見せながらも、核兵器の保有までを射程に入れいずれは米国から自立するという願望を抱いていた。しかし、現在のこの国の支配層は対米自立という目標を忘れひたすら米国追従だけになってしまった。自立の忘却と従属による自己保全である。こうなったのは、自主エネルギーを獲得しようとして米国の逆鱗に触れた田中角栄の失脚が大きく影響しているという。

 僕は、今回の安保法制を成立させたことに対して米国からもっと評価されると思っていたが、国連会議に行ってもオバマはアへと中々会ってくれないし、その後会ってもそっけない対応だった。これをどう読むか。米国が日本に警戒感を持っていれば良くやったと褒めるのだろうが、既に米国はこの国に対して持っていたいつ謀反を起こすかもしれないという警戒心など無いのであろう。そこまでこの国は米国の属国化してしまったということである。

 僕は、1960年代の左翼のようにこの国は帝国主義的に自立しているか、対米従属なのかの論争をやっていてもそこに展望は無いと考える。それは、どちらも国家を前提とした議論であり、今ナショナリズムを振りかざして、従属を恥とし自立を求めるという運動をしても道は開けない。僕がずっと言ってきた「国民国家の黄昏」という現在の情況認識を基にすると、安保法制もTPPもこの国の主権の放棄であり、アへがどんなに「美しい国」と叫ぼうが国民国家の崩壊につながっていると捉える。(中国では美国はアメリカのことを言う。アへは米国賛美者か?)これからは国家の廃絶に向かう方向に道筋をつける以外に展望は無い。沖縄は今そこを模索している。

 

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