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戦後左翼史 その17 1963年③ 中ソ論争 部分的核実験停止条約

2016-04-09 09:15:50 | Weblog

 北海道5区選挙で、新党大地(鈴木宗男)が自民党に取り込まれたのみならず、なんの弱みを握られたのか権力の走狗と化しています。鈴木貴子衆議は、質問主意書で公安調査庁の日共に対する認識を問い、政府の見解として、公安は現在も破防法の調査対象団体としているとの認識を引き出しました。何を今さらという内容だが、これには日共にも責任があり過去の歴史をきちんと総括していないところにこの党の最大の弱点があると考えます。『試される大地』のスローガンはもはや賞味期限が切れました。

 

 戦後左翼史 その17 1963年③ 中ソ論争 部分的核実験停止条約

以下、★印は中ソ論争関係、◎は原水協、部分核停関係

*(*は僕の考え)中ソ論争におけるソ連と中国の情況認識の違い、また部分核実験停止条約をめぐる総評・社会党と日共(中国寄り)の評価の違いは、戦後左翼史その11(2016.3.3)で述べたように、主観と客観の転倒から来ている。精神主義と現実主義の差と言ってもいいだろう。彼我の力量を客観的に比較することなく、敵は死を恐れているのだから、こちらが死を覚悟すれば怖いものは無いという主観的な願望を軸に据えた認識論は、当時の中国共産党と日共、戦前の日本、そして今の北朝鮮に共通するものと考える。

古い新聞を注意深く読むことによって、現在が見えてくることもある。アへ首相の認識論も主観的願望に傾く傾向があり、大衆から見てそこに彼の危険性を感じる。

1963.6.5道新 中国機関紙「紅旗」総合物価政策を提唱 ヤミ値の存在認める

★1963.6.9道新 中国人民代表大会 中ソ会談待ち 基本政策なお未定 首脳部含む人事も予測

★1963.6.12道新 核停高級会談の背景と前途 三者三様の思惑 米国:中国へのけん制 ソ連:平和共存の自信誇示 英国:黒星続きの現政権にカンフル

★1963.6.15道新夕刊 中共 ソ連再提案に同意 中ソ会談は7月5日

★1963.6.16道新 中ソ会談のソ連代表 スースロフ氏か

★1963.6.16道新夕刊 中ソ両党会談 ソ連主席にはスースロフ氏

★1963.6.17道新 中共中央委 中ソ会談で親書 総路線めぐり見解

★1963.6.17道新夕刊 中共の返書 アジアの支持背景にフ路線と対決

1963.6.19道新 ソ連共産党中央委開く イリチョフ書記 官僚主義を批判

★1963.6.19道新夕刊 ソ連党中央委声明 中共書簡公表せず モスクワ宣言わい曲

◎1963.6.19道新夕刊 盛り上がる原水協の再建機運 社共が精力的折衝 強い下部組織の突き上げ 焦点“いかなる国の核実験”にも反対

★1963.6.22道新 “論争”めぐる諸国共産党の動向 中ソ懸命の票読み 欧州はソ連支持 アジアは中国?

◎1963.6.22道新夕刊 原水協の統一再建なる 8月に世界大会

★1963.6.22道新夕刊 ソ連共産党中央委総会終わる 強硬な決議を採択 中共の挑戦受ける 党中央委書記に任命 ブレジネフ ポドゴルヌイ

★1963.6.23道新 ソ連党中央委総会の決議 中ソ論争 非公開守れ

★1963.6.23道新国際レポート 冷戦緩和へ米ソ歓迎ムード 中国激しい非難 中ソ会談も成果望めぬ

★1963.6.24道新夕刊 中国・北朝鮮が共同声明発表 国際代表者会議で内部対立 話し合い通じて解消 日本の軍国主義復活―東南アジア侵略を企図

★1963.6.25道新 プラウダ 中共の書簡を攻撃 公開論争停止に違反

★1963.6.29、30、7.2道新 近づく中ソ会談 背景にモスクワ会談 “社会主義の道”で食い違う 高姿勢で臨む中国 論争―泥仕合の恐れも

★1963.6.29道新 党中央委総会での演説 プラウダ紙掲載 フ首相 再び平和共存強調 “ケネディ演説”評価 中共とスターリンを非難

★1963.6.30道新 ソ連 中国大使館員ら5人 退去を要求

1963.6.30道新 米 フ首相の動きに注目 東ベルリン 東欧圏首脳の集結で重大決定ありうる

★1963.6.30道新夕刊 モスクワで中国 新文書を配布か 論争の全容盛る

★1963.7.1道新 中ソ会談 中共声明で発表 団長は総書記

1963.7.1道新 世界婦人会議終わる 中国代表は決議に反対

◎1963.7.4道新夕刊 フ首相 東ベルリンで演説 地下除く核停協定を提案 国際緊張を緩和 ワルシャワ・NATOで不可侵条約結ぼう

◎1963.7.5道新 ミコヤンソ連副首相 核停と不可侵 “抱き合わせ”示唆

★1963.7.5道新 中共中央委 ソ連声明に反論 中ソ会談前に激しく応酬 非難に同意できず 会談に出席して答える 大使館員らの召喚 ソ連が覚え書き 中国事実をわい曲 会談今日開始(プラウダ発表) 会談事実上決裂か収拾つかぬ事態も予想

1963.7.6道新 フ首相東独訪問の成果 立場堅持に自信 対米 緊張激化は避ける

★1963.7.6道新 中ソ会談 きょうから本格討議 迎賓館で初顔合わせ 冷たいソ連の態度

1963.7.7道新 また流れたILO案件 修正案に強い抵抗 自民党内の強行派

★1963.7.8道新夕刊 米有力紙が報道 ソ連の外交政策 西側との了解希望

★1963.7.10道新夕刊 中共側 対ソ会談で提案か “世界党会議開け”

★1963.7.13道新 人民日報が社説 中ソ会談分裂望まず 何回でも話したい 忍耐強く対立を克服 会談“中断”寸前か 一歩も譲らぬ中国側 

★1963.7.14道新 ソ連、中共非難の公開状発表 中ソ会談事実上決裂か 対立全責任負え モスクワ宣言勝手に解釈 人民日報論評 米帝は平和を認めず 両党の分裂工作 核戦争みくびるな

★1963.7.15道新夕刊 人民日報オブザーバー論文 ユーゴが中ソ会談破壊

★1963.7.16道新 今後の中ソ両国の方向 国際共産運動内でさらに分裂化しよう 

★1963.7.17道新 中ソ決裂 東南アの表情複雑 中国圧力強めよう インドも指導権争いへ

★1963.7.21道新 中ソ会談成果なく終わる 中共代表団引き揚げ 党関係は断絶同様 共産圏内に新たな冷戦 ソ連、中国にほのめかす?“同盟条約を解消”

◎1963.7.22道新 来月開かれる原水禁会議大会 社共の対立が再燃 また混乱も懸念される

★1963.7.22道新夕刊 中ソ会談 中共コミュニケ公表 一停停止し続開

◎1963.7.24道新 北京各紙が大々的にアカハタ論文を掲載 7.9、10上田耕一郎「核戦争防止と修正主義理論」中共を支持 袴田里見(中共派)が主導か

★1963.7.24道新 ザ・ガーディアン紙特約(ビクトル・ゾルザ記者) 中ソ論争の底にあるもの 相反す経済的利益 自力建設は好まぬ 特権確保図るソ連

◎1963.7.26道新 米英ソ核停条約で共同コミュニケ 緊張緩和へ重要な第一歩 “不可侵”は討議継続 平和強化へ進展期待 目標は完全軍縮 他国の実験援助しない 拡散防止に重点(名は米が、実はソ連がとる)

(参考)(れんだいこ氏HPに学ぶ)1963.7.15、米.ソ.英で部分的核実験停止条約調印。大気圏内での核実験が「人類に悪影響をおよぼす」として、今後大気圏での実験を禁止するもの。遅れて核を持とうとしている中国は「超大国の核独占だ」と反発。この条約を廻ってソ連共産党と日共が対立へ。ソ連共産党が条約賛成を各国共産党に要求し、日共はこれに反発。原水爆禁止運動も紛糾へ。(日共は中共寄り)

◎1963.7.29道新 部分核停成立で安井原水協理事長声明 原水禁運動の勝利 日共声明(7.29アカハタ主張)―核戦争の危険去らず

◎1963.7.29道新夕刊 人民日報 “注”つきで核停条約発表 米の核独占を強化

◎1963.7.31道新夕刊 中国反対声明 全面禁止世界会議開け 米帝国主義に屈したソ連

◎1963.7.31道新夕刊 原水禁世界大会 社共の話し合い決裂 広島原水協中心で開催か

◎1963.8.1道新 原水禁問題 あす広島で3者(社、共、総評)会談 舞台は現地にうつる 「いかなる」反対 「部分核停評価」

◎1963.8.1道新夕刊 中国の核停非難と世界首脳会議提唱 大国の核独占に疑惑 国際政局に発言権要求

参考)1963.8.2~7第9回原水爆禁止世界大会開催

◎1963.8.6道新 原水禁大会 分裂状態で閉会 社、総評がボイコット

1963.8.6道新 フ首相 日本新聞人の質問に回答 平和条約 日本に用意がなければ条件熟するまで待とう 経済協力 数年内に著増

◎1963.8.7道新 原水禁国際会議 中ソ代表 対立むき出し

◎1963.8.8道新 波乱の原水禁大会終わる “宣言”は行わず 社会、総評、13団体を中心に新組織結成へ

◎1963.8.8道新 部分核停条約に各国参加―両首都で今夜調印 ワシントン:イタリアなど26か国 モスクワ:東独、モンゴル

◎1963.8.10道新 原水禁分裂の波紋 平和運動停滞しよう 社会、共産両党内にも抗争?

(参考)部分核停条約をめぐり日共は初めて中国寄りの姿勢を表明した。社会党、総評は反発、原水禁大会から退場、脱退。

★1963.8.13道新 中ソ論争 社党が初の統一見解 不介入の方針確認

★1963.8.15道新夕刊 中国声明で明るみに ソ連、中国への原爆提供拒否 中国、ソ連指導者を攻撃 核停条約は“降伏”

★1963.8.16道新夕刊 中ソ新国防協定(1959.6)の破棄(ソ連) 1959.8中国軍の金門島砲撃が発端か フ首相の反対押し切る

1963.8.17道新 近づくソ連、ユーゴ(チトー大統領)首脳会談 ユーゴの影響力を利用 東欧国への足固め

★1963.8.17道新夕刊 ソ連、プラウダ紙で反論 中国に原爆は不用

◎1963.8.24道新 転機に立つ道内の平和運動 社党、共産党と絶縁 新しい組織結成も考慮

1963.8.26道新 ユーゴ、コメコン連携 フ首相、実現を示唆

1963.8.26道新 社党理論委まとめる 日本資本主義の現状 国家独占の段階 対米関係は“従属”ではなく“強い依存”

1963.8.26、27道新 ユーゴスラビアの経済と文化 文化の潮流をさぐる 労働者の自主的管理で運営―企業は社会の所有 生産力はきわめて低い 長い“異民族の支配”―いたるところに抵抗の跡 野々村一雄(一橋大教授)

★1963.8.28道新 第三期症状寸前の中ソ関係 ジリ貧的“共存”へ 対立、大衆路線まで広がる

 

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