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シュラトフ・ヤロスラブ 「ロシア極東のアジア系住民:朝鮮人を中心に 19世紀後半~20世紀前半」 2022年度北大スラブ・ユーラシア研公開講座『溶解する帝国』 第2回(2022.5.13) 

2022-06-13 14:16:39 | Weblog

習近平が静かだ。今は懸命にプーチンの失敗から学んでいるのだろう。台湾に手を出すのは無謀で成功の見込みが無い。経済制裁を受ければエネルギー資源国ロシアより脆弱。仲裁に入ってロシアを抱え込むメリットはあるのか。一方、「検討使」岸田ももっと考えた方がいい。三菱重工業のためにいくら軍備を増強しても、原発に一発ミサイルが当たればTHE・END!だ。

 

シュラトフ・ヤロスラブ 「ロシア極東のアジア系住民:朝鮮人を中心に 19世紀後半~20世紀前半」 2022年度北大スラブ・ユーラシア研公開講座『溶解する帝国』 第2回(2022.5.13) 

(僕の感想)ロシア当局が、極東地域に移住した清国人、日本人、朝鮮人を比較して朝鮮人が一番勤勉だと評価したことに注目だ。もし北朝鮮の政治体制が今と異なっていたとしたら、朝鮮人の勤勉性が活かされてどんな社会が現出していたのだろうかと幻視する。今回の講義のキーワードは朝鮮人の勤勉性だ。

【第2回】講義ノオト

◎ロシア帝国への朝鮮人の移住は、露朝関係樹立前から急激に拡大し、満州に次いで大きなコミュニティが誕生した。

・ロシア極東地域には、ツングース諸族に属しているナナイ人、ウデヘ人、ニヴヒ人、オロチ人などのアジア系住民が住んでいた。19世紀後半になると清国人、朝鮮人、日本人など東アジア系住民が移住した。

 

◎朝鮮人に対するロシアの姿勢は、時期によって変わるが極端な措置が取られることはなく流動的だった。当初、朝鮮人は清国人と比べると勤勉な性格のため、極東開発にとって「有益分子」(労働力)として肯定的な評価が下され、定住化、ロシア正教化、同化を認められた。

○1860年代前半~1883年(移住は比較的自由に行われた。)

・朝鮮側の事情としては、飢餓、自然災害など経済的理由からの移住だった。

・1860年には、朝鮮人商人との取引、また清国人の匪賊・馬賊から保護する姿勢に関するロシア国境警備隊の記録がある。

・1863年、朝鮮人に対してロシアへの定住許可を下した。

・沿海州軍務知事カザケーヴィチは「朝鮮人を保護」、東シベリア総督コルサーコフは食料品を与えた。また、土地を与えたことなどにより朝鮮人は農民共同体(ミール)のような集落を形成し移民は急増した。

 

◎だが、次第に警戒感が強くなり、移民制限策などを行った。だが、1906年以降の北米で起きたようなポグロム(暴動)はなかった。

○1884年~1905年、東アジア系住民の移住に対する中央・地方の移民政策が制度化された。

・1884年に初の露朝修好通商条約が締結され露朝の国交が樹立した。

・沿海州軍務知事ウンテンベルゲルは、朝鮮人を3種類に分類しその種類によって土地分与や国籍取得を認めた。一方、土地購入禁止、入国禁止などの制限を行った。また、人頭税の導入など管理体制の強化が図られた。(なお、日本人は最恵国待遇を受けていたため、朝鮮人・清国人より低額だった。)

・東アジア系住民に対する警戒論が台頭した。ロシア商人は、競争相手として排除する姿勢だった。朝鮮人「自治団」の解散、鉱山労働者への雇用などにおいて規制が強まった。また、日露戦争の敗北は、日清同盟に対する警戒を強めた。

 

◎帝政末期には朝鮮人のロシア国籍取得、徴兵制の対象(1911)などが進み、「ロシア臣民としての朝鮮人」と思われた。一方、1905年以降、対日関係をめぐる緊迫、政府への不満、啓蒙活動を行う知識人の存在など段階的な政治化も進んだ。

○1905年~1917年、移民制限期(~1914年)、契約移民期(~1917年)、当局は規制・取締を強化した。

・日本による対韓植民地政策は、「政治難民」を発生させロシア国籍を持たない朝鮮人移民の大幅な増加をもたらした。

・ゴンダッチ総督は、一般人や農民については土地開拓・植民地化の重要な労働力とみなして同化政策を進める一方、知識人・リーダーを警戒した。また、軍部や治安関係者は、第1次世界大戦前の朝鮮人の忠誠を疑い警戒・猜疑心を持っていた。

 

◎第1次世界大戦期、朝鮮民族運動内で派閥争いが激化し、独立復活・救済措置をめぐる議論、旧政権への不信・不満、戦場から地元に戻った兵士の影響により1917ロシア革命に対する期待感が醸成された。

・治安関係者は「疑わしい」中国人や朝鮮人のリストを作成した。朝鮮人(特に知識人)は、軍部の警戒・猜疑心からスパイ事件・取り締まりの対象となった。「匪賊・馬賊と朝鮮人が」「朝鮮人活動家の一部とドイツ側が」連携しているなどと朝鮮人がスパイマニアの標的になった。

 

◎ロシア革命、内戦期、ソ連時代初期を通して、共通の敵として日本帝国主義との闘い、朝鮮独立への期待が高まった。沿海州、アムール州や満州において多くの朝鮮人パルチザン部隊がソビエト政権側についた。ソ連時代初期には極東地域における朝鮮人は急増した。

 

 

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