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新しい年、世の中が凪のようだ。ぽっかりとした何もない空間を漂っているようだ。時間だけが過ぎていく。「尾身クロン」株が蔓延しているのに今一つ危機感もない。政治から責任や批判が消えた。
『「暮し」のファシズム 戦争は「新しい生活様式」の顔をしてやってきた』 (大塚英志著 筑摩選書 2121年刊)
著者が嗅ぎつけた臭いは、1940(昭和15)年、近衛文麿政権が国民を戦争に動員するために大政翼賛会を発足させ、国民に対して「新生活体制」の確立を呼びかけた過去と、現在のコロナ禍のもとで、国や自治体が国民に求めている「新しい生活様式」の醸し出す雰囲気が、酷似しているということだ。
確かに両者で使われている言葉は似ている。知事たちがボードをかざして呼びかける「新しい生活様式」や「新しい日常」、スズキのポン道知事も「新北海道スタイル」のスローガンを掲げている。今の感染症対応をかつての「戦争」になぞらえて「コロナとの戦い」と呼ぶ。「非常時」は「緊急事態宣言」に。戦地で戦う軍人宛に「兵隊さんありがとう」と学校で子どもたちは手紙を書いた。「医療従事者にエールを」と「エッセンシャルワーカーへの感謝」とどこか似る。
「新生活体制」のもとで、国民の「生活」を見直し「日常」を「一新せよ」とのプロパガンダは勇ましい言葉だけではなかった。「パーマネントはやめましょう!」、料亭や映画などの興行対する「時短」要請。子どもたちは小遣いを「節約」して「国債」を買ってお国に協力した。「隣組」を組織して、相互監視体制を築いて異論を封じた。
しかし、以上のことは単なる著者の発想と知識の披露だ。そして、本書は途中から主題がブレる。戦後に雑誌「暮らしの手帖」を創刊した花森安治、太宰治、詩人の尾崎喜八ら文化人の戦争協力の事実を書く。例えば、花森安治については物資が不足していた中で「代用食」の作り方や服の仕立て直しなどの「節約」方法を図解入りの本でPRしたことは戦争協力として指弾されている。
はたして戦時中に戦争協力から免れた人はどれほどいたのか。かの情況の中で生きていくためにどれほどの葛藤があったのだろうか、なかったのだろうか。現在の地点からの批判には、もし自分がその当時の社会の中にあってはどう振る舞うことができただろうかと想像と内省が不可欠だ。そこが本書からは感じられない。
花森安治氏に対して持っていたイメージと本書の記述の違いには僕も驚きました。ただ、花森氏が大政翼賛会で国民を戦争に動員する有名なスローガン作りなどをやっていたのは事実です。
だが、当時にあって戦争協力を拒否する生き方を貫けた国民はどれほどいたのか。多かれ少なかれ社会生活を営む上では積極的、消極的を問わず協力せざるをえなかったのではないかと考えます。
もうひとつは、花森氏が敗戦後、それまでの活動を振り返り、どこまで内省を潜り抜けたのかが肝心な点だと思います。、『暮らしの手帳』の独立したスタイルからそれは伺えます。
現在の時点からの批判は容易なのだろうが、当時の情況を想像しない批判は有効とは思えません。