『夫の介護』と言っても、
今のところ、“物忘れ” や“勘違い” を直してやる程度。
これが『大変』から『いつもの事』になった。
夫が “怒りモード” のスイッチが入ると、
気持ちが急降下する。
スイッチが入らぬよう、気を遣う。
これも『大変』から『いつもの事』となりつつある。
夫とはなるべく楽しく(穏やかに)暮らしたい。
そのための気遣いだが、
発症する前は、『気遣い』はほとんどしなかった、と思う。
で、思い返した。
母たちには、
夫と同じような “気遣い” はしていなかった、気がした。
母達とは、
介護が始まるまで、別居していた。 🏘
「介護が必要になった」=「体が弱り、死期が近い」
そんな思いが心の奥底にあった、のに気がついた。
親とは言え、
一緒に暮らしている『家族』とは違った関係ではなかったか。
『死ぬまでのお世話』と思っていたのではなかったか。
義母の介護では、
本当に他人事だった。
『嫁の務め』として踏ん張った。
母の時も、
『孝行娘』として死ぬまでの世話をするつもりだった。
体が弱っていっても、
「だんだんそうなるなぁ」と、変に冷静で受け入れられた。
母達の介護の愚痴は、すんなり吐き出せた。 🗣
夫のことを気遣われた時は、
えぇ、なんとかね。
と、曖昧にきり答えられない。
兄が重篤な状態で入院した時、
義姉は、「この事を親友にも言えないでいるの。」
と言っていたが、今は分かるような気がした。
母の介護ブログのサブタイトルを、
『母と私の静かなるバトル』とした。📝
口喧嘩はなかったが、
二人の “意地の張り合い” があったからだ。
その時、
夫の介護の時は言いたいことを言って、
『壮絶なバトル』になるかもしれない、と思った。
実際は、
穏やかに、なるべく機嫌よくを心がける。
やってみないと分からないものだ。
介護の経験がある、とはいえ、
それぞれに “初めまして” の対応なのだ。
この1ヶ月、
いろいろ思って、改めて納得して、
落ち込んで、今は浮上中で。
何とかかんとか暮らしている。