本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

アメリ+予算委員会第1R.

2009-11-02 19:22:48 | 世界
『アメリ』をGYAO!で見たが、私はこれを以前どこで見たんだろうと考えて、ああこれも『試写会』が当たって見に行ったんだなと思い出した。昔は深夜テレビのスポットを目聡く見つけてはあちこちマメに応募していたもので、毎回ではなかったがよく当たっていたのである。出掛けて行って列の最後尾に着くと、中には諸所から私の知らない映画の当選通知を蒐集して何枚も持っているマニアックなOLがいたりして、唖然としたりしたものである。で、『アメリ』であるが、小石を拾っては「水切り遊び」用にポケットに入れて取っておくという『一人遊び』が好きな22歳の女性が主人公のラブ・コメディ(?)で、主人公のアメリを演じたオドレイ・トトゥはこの映画の大ヒットで俄然脚光を浴びたわけであるが、何しろアメリが彼女に付与したイメージが強烈過ぎて、なんか以降の作品では存在感も感じられずパッとしなかった印象がある。でも私が見ているのは『ダヴィンチ・コード』くらいのものである。『アメリ』はパリ・モンマルトルのカフェや八百屋や安アパートで暮らす人々の織成す人間模様を描いた映画だが、登場する『普通の人たち』というのはよく見るとみんな一様に風変わりで偏屈な『変人』揃いで、監督の描き方次第では充分オカルト的怪奇映画にも成り得た作品である。人間一人一人をつぶさに見て行くとみんなどこか曰くありげでいぶかしげでいかがわしい存在なのである。アメリの極私的で自分本位な『いたずら』にしても、あれは皆刑法に触れる犯罪ではないかと思われる。笑。つまりこれは監督以下スタッフのいわゆる「遊び心」が炸裂した映画で、遊んでいるのはアメリという主人公というよりもむしろ彼女を使って「楽しい映画を作りたかった」と告白している監督自身だったろう。オープニングの出産シーンもそうだが、全ての指に差した苺を幼いアメリが順番に食べて行くシーンなどは私には衝撃的でさえあった。「自殺志向」かと想像させる「免許写真マニア」の挿話は何度見てもおかしいし、あと状況設定で言えば、野菜の戸別配達を請け負っている八百屋の店員が、配達先の各戸の合鍵を預かっているという習慣はまだ彼の地では残っているのだろうかという点も私には気がかりだった。家に鍵はかけないという一種「信用」を機軸とした「日本の田舎」(=ムラ社会)を私は連想したのだけれど・・。 . . . 本文を読む