異形の仲間たち見聞録

私が見てきた精神疾患者たち

小説 『ボケ茄子の花 その四十二』

2019年02月03日 11時58分44秒 | 小説『呆け茄子の花』

ここで尚樹を巡る環境を整理しておきたい。

尚樹は以前勤めていた会社で労災事故に遭い、

右足膝下を切断せざるを得なかった「障害者等級1級」を市町村から受けている。

事故というのは爆発事故で右足を酷く焼いたため、

切断せざるを得なかった。

幼少期に両親が離婚し、母親の下で育った。

両親が離婚したのだが尚樹には兄が居り、同様に母と暮らしていた。

就職と共に京都で一人暮らしをしている。

事故以後、会社との関係はギクシャクして慰謝料をもらったのを機に退社している。

31歳で会社を辞して、友人のすすめにより京都の私立大学に社会人入試で入学した。

大学では佛教の死生観を4年間ひたすら追求して、

卒業論文も『佛教における死生観』を題材とした。

それは、尚樹が事故数年後、うつ病から「希死念慮」に苛まれ、

「死にたい・・・」と思い続けたことからだった。

そんなことを思い続ける尚樹であるから、心からの「笑顔」が出るわけも無く、

自身、「仮面の笑顔」と称していた。

尚樹が数度にわたる厳しい手術に耐えられたのも、

兄の手引きにより、「剣道」で厳しい稽古に明け暮れていた賜であったと言えよう。

兄は五段、尚樹は順調に段位を取得していたものの「労災事故」により、

足を無くしてから指導に回ることになった。

ちなみに尚樹の段位は四段で高校生の頃、インターハイに出場経験もあり、

高校卒業時には、大学から「スポーツ推薦」声が掛かったほどであるが、

一人親の母にこれ以上負担をかけるわけにもいかず辞退している。

尚樹は心を病み、数件の「精神科・心療内科」を巡った後、

あるクリニックのDr.のすすめにより、

入院した先のDr.に巡り会い、大学の夏休みを利用し三度の入院の後、

退院、大学の卒業し治療に勤しみながら、大学では図書館通いや

教授の許可を得て、「もぐり」で講義を受けていた。

そんな生活を送りながら、お金もつきて「生活保護」受け、

尚樹は自尊心を失った。

そんな中、Dr.の進めもあり通院していた病院に「パート職員」として働くこととなった。

病院では「障害者職員」であることを隠さず働いている。

所属部門の課長と数度のトラブルがありながらも、

Dr.庇護を受けながら働いている。

尚樹にとって「剣道」依然としてバックボーンであるので、

義足をはめつつ、京都で有数の道場で指導に当たっている。

剣道では「昇段」は厳しく、「義足」の尚樹には到底無理な話しであった。

尚樹の仕事は尚樹がこころに傷を持っている様に同じ傷を負った人たちへ

寄り添う仕事で「ピアサポーター」という仕事である。

以前勤めていた「製薬会社」よりも、この大きな「精神科」の病院で

精神障害者のサポートすることに生きがいを感じていて、

自ら「天職」と感じている。

 

 

 

この事を私も確認しながら、今後も書き続けたいし読み進めていただきたいと思う。

 

 

 

 

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