異形の仲間たち見聞録

私が見てきた精神疾患者たち

「呆け茄子の花」を見ていただいていた方々へ・・・_(._.)_

2021年10月24日 22時28分30秒 | 小説『呆け茄子の花』
今まで「呆け茄子の花」を見ていただいてありがとうございました。
前号をもちまして最終稿とさせていただきます。
突然ですみません_(._.)_

もう、見出しは変わったのですが「異形の仲間たち見聞録」と題しまして、
今まで私が接してきた患者さんたちとの交遊録、支援録を中心に
書いていこうと思っております。
不定期更新になりますが長い目でお付き合いください。

よろしくお願いします。



著者

小説 『呆け茄子の花 その五十五』

2021年08月16日 02時42分34秒 | 小説『呆け茄子の花』
就職活動も難航に次ぐ難航、Dr.からは障がい年金の打ち切りの引導を渡され、絶望の淵にあった。精神的にも弱くなり、就職試験で面接を受けても「どうせ落とすんだろ?」と投げやりな思いが続いた。ある法人の就職試験を受けた。採用人数は4人。試験会場に集まったのは7人。「もしかして・・・」という気持ちはあったが、「負け犬根性」が染みついている今の尚樹には「また落ちる」という気持ち以外無かった。筆記試験、PC試験、面接と2グループに分かれて進んでいった。筆記試験では漢字や四字熟語、複雑な計算式があったのだが、自信を無くしたのが「割り算」だった。今は電卓やExcel等で計算する時代になって、おそらく、化学工場に勤めている時もやっていなかったであろうから、高校生以来のこの問題に向かった時、忘れている自分に愕然とした。漢字や四字熟語は日頃読書をしていることもあって何とか切り抜けた。PC試験は以前別の事業所で出た問題と似たようなものであったので持ち時間を持て余すほど早くできた。面接は「やる気の無さ」は始めの方に出て言葉に詰まることがあったが、後半は「いつもの自分」を取り戻し、今までの実績や思うところを話していった。試験が終了したものから順に帰って行き、尚樹は終わりの方であった。時間は15時をちょっと回ったぐらいではあったが、小腹が好き駅前にあるラーメン屋で腹を満たし、内心「もうここに来ることはないか・・・」と思いながら電車に揺られ帰途についた。





その五十六につづく






小説 『呆け茄子の花 その五十四』

2021年06月10日 23時30分32秒 | 小説『呆け茄子の花』
この時期はずっと精神状態を含む体調が悪く、気分のアップダウン、拒食気味になり、食べるのは麺類のような食べやすいものが多くなり結局下痢してしまうのでこの時期体重は4~5kgは落ちてしまう。気分の落ち込みはまるで「山の天気」のように変化し、活動的な日の翌日は必ずと言っていいほど寝込む日が多い。それも遮音、温カーテンは閉め切り食事も摂らずに12時間以上寝るのだ。それも睡眠導入剤無しで。精神的に落ち込んでいるとこんな状態が続く。正直、「よくこれで前職勤めていたな」と思うが、尚樹が辞める切っ掛けになった「ろくに仕事もせず、職場で寝てばかり・・・」これは、心外な言葉であったが自宅を出るまで、毎日「必死な思い」で出てくるのは事実で昼の一時間の休みの時に寝なくては働けないのは事実であった。尚樹の身体症状として子供がよくなる「とびひ」の様な皮膚の炎症が足によく出てきて、皮膚科へ日参するのがこの時期の常だ。今は前年に処方してもらった軟膏を塗ってしのいでいるが、おそらくPTSDの症状で死ぬまで続くのではないかと思っている。フラッシュバックも軽減したとは言え、続いているし、翌日倦怠感はまだある。なぜか、この毎年ある「恒例行事」とも言えるこれらの症状をいくつか忘れている。それも毎年。脳が故意に記憶を消しているのか、単なる健忘なのか解らない。薬の中には「薬物性健忘症(正式名称ではない)」があるらしいが特に眠剤に多いと言われており、前職の時も健忘症状が多かった。薬によっておおいに助けられている反面当たり前だが大小の違いはあれ、「副作用」があるわけで「健忘症」もその内に入っているのだろう。尚樹の認識はそれくらいのものであったが、今夏はちょっと気になり始めた。





その五十五につづく







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小説 『呆け茄子の花 その五十三』

2021年05月30日 05時08分15秒 | 小説『呆け茄子の花』
尚樹はその月で一年近く経つ週就職活動の中で感じる閉塞感と、前職の病院を「夜逃げ同然」で辞めた後ろめたさを常に感じていた。毎月第4木曜に行く職業安定所の障がい者相談室。ほとんどまともな話しをすることもなく、ただ毎回の常套句「尚樹さんなら大丈夫ですよ」の言葉。しかし、現実的に一年近く職が見つからないこととの矛盾を感じていた。数日後、面接の予定があったがすっかりと「厭戦ムード」たっぷりで面接を受けたが、そんな様子だから採用になるはずもなく、また数日後「不採用通知」が案の定来た・・・。それから尚樹は民間の就職斡旋会社も職安のサイトも見なくなり、自宅に引き籠もるようになり、その内に中古で買ったTVが音声しか出なくなり、外界とのつながりはPCのインターネットのみになってしまった。しかし、インターネットから得られる情報は偏りが多かったり、デマも多かった。尚樹はさらに閉塞感、孤独感を感じ食料品を買い出しに外に出る程度になり、カーテンは閉め切り、孤独に孤独を重ねることになった。「いっそ、路上生活をしよか・・・」とまで精神的に追い詰められた。「追い詰められた」というよりは「みずから追い詰めた」と言った方が正確かも知れない。以前の様に「自死」の感情は湧いてこなかったこのことは心理師による治療が効果があったのだろう。ある日、精神科へ定期の診察があったので赴いた。その際に医師から衝撃的な言葉を聞いた。「尚樹さん、足もおぼつきながら歩けるようになったし、精神的にもずいぶん落ち着かれた。次回の精神の障がい年金の更新は辞めましょう。」とのことだった。今、尚樹の収入減と言えば、障害年金と失業手当の合計16万程度であった。生活保護が14万ちょっとであったから、生活保護よりはマシであったが世間から見れば、尚樹の年齢からすれば、世間の付き合いは出来ず「最低限の生活」で世間の底辺を右往左往する様な気持ちであった。それから一月あたり約10万円の障害年金が切られると・・・。そのことを考えると「この世に神も仏もない」と思うのも致し方ない心情になるのも仕方ない。そのような気持ちにの中で、尚樹にとって「鬼門」である事故の日が迫ってきた事故の日を挟んで三ヶ月は精神状態が落ち着かず、涙ぐんだり時には嗚咽を漏らし、時には怒りを抑えきれずに部屋の物に当たり散らすという、武道で養った「平常心」もこの時期は尚樹にしては「狂乱気味」になる時期でもあった。この「障がい年金打ち切り」、「事故の日の接近」この追い詰められる尚樹の思考は複雑な展開を呈していく・・・。


その五十四につづく






小説 『呆け茄子の花 その五十二』

2021年05月23日 23時04分54秒 | 小説『呆け茄子の花』
その後の尚樹の人生はまた難航の兆しを見せてきた。
退職した年始めからまん延していた「新型コロナウイルス」の影響で職安の「障害者相談室」へ行っても、「事務所清掃」、「社長室の庶務係」、「展示車の洗車」、「障害者職場での簡易な事務作業」など、尚樹の興味を引くものはなかったし、向いているとも思わなかった。多少、尚樹自身の「奢り」が会ったことは否定できないだろう。反対に「障害者への就労支援」、「障害者への相談業務」といった前職につながるようなところへ応募しても書類を突き返されたり、面接を受けても明らかに「形式的面接」で雇う気が無いようなものが多く、求人を出すだけの“ポーズ”にしか見えないものも多かった。内心「これが障がい者雇用の現実か」と実感せざるを得なかった。尚樹が退職したのが6月半ばで、あっという間に年末を迎えようとしていた。しかし、尚樹には「盆も正月もない」という心境で、周りで気遣ってくれるものはおらず、就職活動当初は「私に出来ることは限られている」と過小評価と現実的な評価の中で揺れていた。それと同時に安定しつつあったPTSD・うつの病状も就職難から悪化してきて「過食・飲酒」が進んできて、過去に経験がある尚樹は「いつか来た道」と感じ始め、かねてからの趣味であった「寺社巡り」をして歩き、また交通機関を使って隣県まで足を伸ばして気分を晴らすことに気を遣った。尚樹は十五年前程から「御朱印巡り」をしていたので要領は心得ていた。辺境な地にある寺社へも惜しまず歩いて行き、御朱印をしていないところでも参拝をして、また次の地へ向かう「にわか修験者」よろしく、行けるところはもちろん、同じところへ二度三度と熱心に通うことも惜しまなかった。もちろんのこと片方では就職活動も熱心に行っていたが報われることはなかった。






その五十三ににつづく




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