異形の仲間たち見聞録

私が見てきた精神疾患者たち

異形の仲間たちとの見聞録 「自分の障害をカテゴライズせずには居られない障害者たち」

2023年05月15日 17時35分03秒 | 異形の仲間たち見聞録
障害者の中でも精神障害や発達障害を抱えている人とお話しすると「私はASDです」「私はAD/HDです。」「私はHSPです。」「私は双極性の鬱が強い感じです。」など枚挙に暇が無いほどです。自分をよく理解して欲しかったり、同じ悩みを共有出来る人を求めていたりということだと理解しています。そんな人達を見続けていると悩みや日頃の困難を共有していた人達は時間の経過と共に仲違いを起こす。短期間で起きる場合が多いと感じています。
私が思うに、「✕✕症」「✕✕障害」「✕✕病」と医師から診断名が下るのは、カルテ上や障害手帳、年金の手続き上必要なために付するものと考えている。病気、障害になった経緯や経過、原因は人それぞれでそうなると現状もさまざまでもキッチリとした「区分」を欲する。私が自分の紹介をするときには病名を先に語ることは無い。原因と経過、聞かれたら病名を話す。病名にそんな重要な役割を与えてはいけない。役割を与えることに意味が無い。
それならば、それぞれその時その時の困難を分かち合った方が余程良い。あるときはAさんと同感し、またあるときはBさんと共感する。自分とAさんがぴったりマッチして、それが永劫続く事はない。でも、それを求めたがる。
それだけ孤独な存在と言えるのかも知れない。友人、家族から疎まれ避けられるとつながりを求める、それがエスカレートするとぴったりマッチするような人という幻想を追い求めるのかも知れない。

障害を抱える者の一種の病のようなものかも知れない。










異形の仲間たちとの見聞録 「生活保護バッシング」

2023年05月06日 21時39分52秒 | 異形の仲間たち見聞録
「行政=内閣」を始めとする役所や「司法=裁判所」はお坊ちゃま育ちが多いのと裁判所は役人や内閣の大臣の顔色ばかり気にして国民の顔色など気にせずに平気で弱者切り捨ての「冷たい資本主義」の一面を見せる。ちなみに、G7の中でGNP(国民総生産)比較では、日本が生活保護に対する割合は最下位である。

14日、一連の裁判で初めての2審の判決が言い渡され、大阪高等裁判所の山田明 裁判長は、「物価の変動率の算定にあたって受給者の消費構造をどの程度、考慮するかは厚生労働大臣の裁量に委ねられている。支給額の引き下げの判断は不合理とは言えず裁量権の逸脱や乱用は認められない」などとして1審の判決を取り消し、受給者の訴えを退けました。
※判決文を抜粋
不景気や物価上昇は考慮しない判決。
役人や裁判官を務めているような、お坊ちゃまお嬢ちゃまにはわかるまい、といったところですかね。

さまざまな事情で生活保護を受けている人に対して世間の風当たりは厳しい。ことに身内にそういう人がいれば、なお風当たりは厳しいのは悲しいかな当然の話だろう。いわば「身内の恥」というわけである。
…私の知人でSNS上で親戚から生活保護を受けていることに対して批判的な激しいコメントがあって、その親戚をブロックしたという話しを聞いた。親戚の内でも仲がいい人でショックは大きかったようです。結局、和解も亡いまま相手は亡くなって「当て逃げ」のような格好になったようですが、SNS上で批判すると万人の中で批判されるのですから、当人間での話しでは無くなってきます。
兄弟からも「お前は(金銭面で)世話になっているんだから、面倒はお前が見ろ」と親の看取りを一人任されたそうです。単に面倒を見たくない言い訳にされたようです。
このような認識が世情に蔓延すると「生活保護は恥」という意識になってしまって、「保護を受けるようなら体を壊しても良いから働く」という方も多い。
しかし、「生活保護を受けて気が楽になった、助かりました」という話しは枚挙に暇が無いのも事実。これはいつ誰が受給対象の生活レベルになってもおかしくないことであり、「他人事」というにしては身近な存在過ぎます。