異形の仲間たち見聞録

私が見てきた精神疾患者たち

小説『呆け茄子の花 その十二』

2016年05月14日 03時36分38秒 | 小説『呆け茄子の花』

社会人道場生からは「尚樹先生に初段にしてもらったのに、これから先・・・」

と、言葉を失っていた。

尚樹にも自分が抜けてから道場の指導陣が回らない解っていた。

しかし、この時点で尚樹の決意は固まっていた。

大阪に引っ越した後、世話になる道場も目星を付けていた。

尚樹は年内早々に大阪に引っ越した。

大阪で友人と家具屋でデスクやベッドなどを急いで買い揃え、

「さて、中年新入生!」と、意気込んだが、

大学にストレートで入った尚樹と十歳以上も違う「子供達」は、

優秀な子達で尚樹とは基礎学力が違うように思えた。

それがきっかけで尚樹の「潜在的な傷」が浮き上がってきた。

つまりは、「心の傷」である。

尚樹は大学近くの「心療内科」に通うも快方には向かわず、

どんどん「うつ病の谷」に引きずり込まれるように落ち込んでいった。

尚樹は、大学一年通うことも出来なくなって、

半年が過ぎ夏休み明けから通学出来なくなった。

尚樹は夏休み明けから、「死」を意識するようになり、

大阪ばかりか、京都へも足を伸ばし「寺巡り」をするようになった。

尚樹は、「人間の死生観とは・・・」と、思い出すようになり

尚樹は今の大学を退学する決意をし、年内中に京都の佛教系の大学を受験する事とした。

事前に送らなければならない「小論文」に尚樹は病的なまでに力を注ぎ込んだ。

「小論文」を送った後は、受験日の面接だ。

剣道の勝負強さから、辞めた大学の面接でも上がることはなかったし、

新たに受ける大学の面接も自信があった。

 

 

その十三に続く・・・


小説『呆け茄子の花 その十一』

2016年05月08日 02時03分12秒 | 小説『呆け茄子の花』

友人Yから大学を勧められたものの尚樹が住む田舎には

あると言えば、「国公立大学」で『社会人入試』などやっていなかった。

となると、外に出なければ行けなかったが、道場生40人あまりのことを思うと、

すぐさま「YES!」とは言い難かった。

尚樹はずいぶん悩んだ・・・「再就職すべきか、進学すべきか・・・」

最後に背中を押したのも友人Yであった。

「道場に指導者の代わりはいるはず。今まで尚樹に依存していたのが間違い。」

というモノであった。

確かに尚樹は、自分の仕事があっても職場の先輩や後輩に後をお願いして、

早々に職場を定時に後にして、道場に向かうのであった。

尚樹は自分に「ここは自分の為の選択をしよう!」と言い聞かせた。

尚樹を道場で育ててくれた先生には事前に「・・・こういう訳で。」と言い。

道場の忘年会で20人近く集まった父兄、社会人道場生に

「来年には大阪の大学に進学する!」と宣言したのであった。

今まで道場の実情は「尚樹依存」だった為、皆の衝撃は強いように見て取れた。

 

 

 

その十二に続く

 

 

 

 

 

 


小説『呆け茄子の花 その十』

2016年05月05日 01時59分26秒 | 小説『呆け茄子の花』

尚樹が剣道にエネルギーを注ぎ込んだ影響で道場生は40人を超えた。

それ以前は、2人であった。

40人を超える道場生全ての名前を覚え、ひとりひとり熱心に指導した。

尚樹は、今までの指導者とは違い膝を床に着け道場生と

同じ目線で個別に教えることを心掛けた。

他の道場と比べて初段への合格率が高く、多く輩出した為、

「初段製造工場」と他道場から言われた。

道場と会社での尚樹は、「明・暗」であった。

さて、会社を辞めた尚樹は今後のことをどう考えていたのだろう。

ひとことで言うと「ノープラン」であった。

自然に考えれば、「再就職だろう」と、おぼろげに思っていた。

そこで最近知り合った友人Y氏にアドバイスをもらった。

「社会人入試で大学入ってみれば?」というものだった。

 

その十一に続く