発達障害で時折みられる、集団から逸脱した行動や発言は、この文面では言い表せない発達障害独特なものがあります。それによって孤立することもよくある話しですが、それは発達障害当事者にとって、どの程度重要なのか?重要でないのか?「ツラい!」「別に!」と当人は言うが本当のところはどうなのか?疑問だらけです。
私の手法(あえて手法と言います)は「こちらからはなにも言わずに寄り添う」「当事者の発言を待つ」「話しやすい雰囲気」「話しやすい態度」「話しやすいように、こちらが隙を見せる」ということです。
小賢しいのかも知れません、ずるいのかも知れませんが…。
当事者の話の内容は右往左往、前後不覚になるでしょう。矛盾も出てきます。(こんなの健常者にもあるでしょ?)発達障害独特の言い回しや表現、考え方があるのは当然です。一般的にカウンセリングは当事者が話していく内に整理が付いてくる、統合されていく、気づきが出るという事が言われますが差別的言い方に聞こえたら、それは誤解ですが気付いても思い返さなかったり、その後の行動に振り返りが反映されないこともあります。(健常高齢者にもある話し)傍目で見ている人が改善されていないように見える発達障害当事者に対してどう接するか?どのような解釈をするのか?が問題です。私はその域までには達していないのですが、周りとトラブルが少なくなるような一種の「ガイド」が必要なんだろうと思います。なかなか口頭では難しい。文章にしたものも発達障害の特性の中では難しい人も大勢います。解りやすいイラストで簡潔で大きな文字、解りやすい場所に掲示したり、こまめな面談などをしていく必要がある。
このガイドを行うには組織の上部がどこまで真剣に考えているのか、問題視しているのかにかかってきます。
組織の中では同僚・上司がいるのでガイドが必要なのですが生活する上で、発達障害者が「生きにくさ」を感じているのか?「孤独がツラい」と考えているのか?例えば「生きにくさ」や「孤独感」を感じていなければそれでOKなのか?そのような職になくても、家族にいなくても、近所にいなくても、友人にいなくても考えて欲しいと思います。
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