Dr.Wはその病院でも一、二を争う受け持ち患者が担当していて、いわゆる「業界(精神科医)」でも全国区な著名な人で、他の「業界有名人」とも接点があり、かつ自分からも意欲的接していくタイプ。学会発表にも貪欲で部下にも協力させて積極的に活動していました。受け持ち患者数も多かったが病院へ「障害者雇用」の窓口的役割も担っていて自分の患者だけであったが病院に就職できた患者も多かった。しかし、このDr.Wの問題点は「癇癪持ち」で受け持ち患者でもこの『癇癪』の被害者は少なくないが「叱咤激励」と受け止めて感謝する患者も多くいた。しかし、せっかく職についてもこの「癇癪」で退職してしまい、主治医も同じ病院内で変えた患者もこれまた少なくない。これは患者だけが被害者だけではなくて職員も同様の「被害」に遭っていて院内でも職員はすれ違ったり職場に内線がかかってくるだけでも戦々恐々とするのが、どこの部署でも「常識」であった。
ここで紹介する障害者雇用で病院に就職したHさん。この人の主治医もDr.Wでそのお陰で病院に就職できたのだが、体調/精神状態の変化で院内の職場を転々として、その度にDr.Wに配慮してもらってきた。月日を経ると症状も軽減されてきて勤務できる時間や日数も増えてきて、ある職場に移ってきたときに本人が「天職」と思える部署に着くことが出来た。Hさんは外部の研修/講習にも積極的に参加し、地域でも知名度が上がってきて全国的にも精神障害者がその分野で働くことが「希有」で本人もやりがいを感じて仕事をしていた。しかし、度々主治医には「癇癪」の洗礼を受けて、それは患者としてでもまた職員としてでもこの洗礼を受けてきた。時にはHさんの落ち度で、時には単に主治医の虫の居所が悪い場面で受けてきたのだが、以前にHさんのお昼休憩の時に疲れやすいHさんはご飯を食べた後、机に突っ伏して仮眠を取っていた。その時にDr.Wが入ってきて、その時は「いいんですよ、そのままで」と優しい言葉を掛けてもらっていた。だが、とある切っ掛けで、また発作的な「癇癪」を起こされたときに、いくつかHさんの欠点をあげつらってその言葉の中に「昼休みの仮眠」のことをいわれて「仕事中に寝てただろ!」といわれ主治医には「昼休み」という観念が無かったようで『仕事中に勝手に寝ている』と受け取られていたようだ。さすがにHさんも度重なる癇癪や今回の「濡れ衣」を着せられガマンの限界にきて、その場面では黙って聞いていたが後日主治医のDr.Wになんの話しをすることも無く、黙って退職していった。このHさんも何人目かの「ドクハラ被害者」となった。Hさんが努力してきたキャリアもこの件で泡と消えた。
もちろん主治医も別の病院に頼んでその病院名を聞くだけでも気持ちが重くなる日々が続いているようです。
このDr.Wがいい精神科医に診てもらえばいいのではないかと客観的には思う。