尚樹は未だに「死(希死念慮)」の沼から抜けられなかった。
入院してからも尚樹は、二言目には「死にたい・・・」と言っていた。
三度目の入院の時に病棟内にある診察室で「死にたい・・・」
と、毎度の事ながら「「死にたい・・・」と言ったところ
Dr.は女医であるが怒鳴りつけた
「あなたのように足も無く頑張っている人はいっぱいるのよ!!」
その一喝で夢から覚めた思いがした。
それから二度と希死念慮を言葉にすることは無かったし、
入院することも無かった。
尚樹は未だに「死(希死念慮)」の沼から抜けられなかった。
入院してからも尚樹は、二言目には「死にたい・・・」と言っていた。
三度目の入院の時に病棟内にある診察室で「死にたい・・・」
と、毎度の事ながら「「死にたい・・・」と言ったところ
Dr.は女医であるが怒鳴りつけた
「あなたのように足も無く頑張っている人はいっぱいるのよ!!」
その一喝で夢から覚めた思いがした。
それから二度と希死念慮を言葉にすることは無かったし、
入院することも無かった。
尚樹の関心事は「死」は、どう考えられたのか?
佛教学では、まず「インド人の考えたこと」である。
その後は「支那人の考えたこと」
そして「日本の考えたこと」の順である。
尚樹が学び思ったのは、「来世を想像することは、死に対する恐れだ」
ということだった。
しかし、尚樹の頭から「自死」は脳みそに粘着するようにこびり付いていた。
「来世がなくとも自死を望む」という一種取り憑かれたような考えになっているのだ。
数度、大學の休みを利用しながら、また入院しながら大學に通学しながら、
「自死」と向かってきた。
しかし、「自死への望み」は、さらに募るのであった。
「死にたい・・・」
尚樹は在学中市内中「心療内科・精神科」を自転車で・バイクで訪ねて回ったが
一人として納得のいく病名を下す医師はいなかった。
約半年、市内を巡った結果、ネットで探し当てた精神科行ってみた。
後で解ったことだが、その医師は尚樹が住む有名国立大学出で、
最近開業したばかりだった。
その医師は、時間を決めずに長時間になっても話しに耳を傾けてくれた。
その医師の見立てでは『複雑性PTSD及びうつ病』というものだった。
そして、「即入院が必要」とのことだった。
尚樹は紹介状を持って、電車で20分ほどのM市のM病院の医院長を紹介され、
診断、即入院。
これは大學の夏期休暇を利用しての入院で休暇後は大學に戻ることになっていた。
しかし、尚樹は休み中も大學図書館に150ccのスクーターを飛ばして行くのであった。
その当時の頼りは佛教学に没頭することだけだった。
それも題材は「佛教の死生観」で、それは「自死」に直結するものであった。
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