尚樹は専務・大三郎から別の日に呼び出され、
「これ以上、会社に対して賠償を求めない」旨のただ一枚の紙切れに署名捺印した。
これの紙切れに後々になって尚樹が「後悔の念」で苦しめることになる。
しかし、この会社とのやり取りが終わったことによって、
尚樹の「腹」は決まった。
尚樹はその年の10月20日付けで退社することを決め、会社にも届けを出した。
それまでは、有給休暇を取り事実上、退社日の一ヶ月前程から会社を休んでいた。
尚樹の元に先輩から連絡があり、「送迎会をするから来てくれ」といわれた。
会社ともめたことで、断ろうかとも思ったが「立つ鳥跡を濁さず」と教えてくれた
上司の言葉が浮かび、出席することとした。
会場は尚樹が住む田舎には珍しい洒落たイタリアンで行われた。
会の始めに尚樹は一言を求められたが、
当たり障りのない言葉で12年半を締めくくった。
実は尚樹の精神は退院後、2~3ヶ月くらいから異常を来していた。