▼「子どもの心と命のために」というのが、私たちが活動しているNPO法人教育ネットワーク・ニコラの標語である。もともとは小冊子に付したタイトルで、「我が子が教育機関に通うようになった時、子どもの側にいる親の手助けとなるための小冊子」というのが当初の目的であった。
▼その時(1995年)の朝日・読売・毎日の三大紙や各地方紙で私どもの活動をそれぞれかなりの紙面を割いて紹介して下さったことは望外の喜びであった(当時まだ民間の立場から市民活動を行うというNPOの概念そのものがなかったのです)。ところがいかんせん、それは欲張り過ぎとも言えたが、当時の子どもたちの問題でマスコミの脚光を浴びていたのは「不登校」問題であった。
▼そういうこともあって、マスコミの紋切り型の報道によく見られがちだが、ご多分にもれず、不登校問題をはじめ「学校で生き難い問題を抱えている親御さんに読んで欲しい小冊子」というような紹介をされたのである。その結果、否応なくそういう問題と真正面から向き合う雑誌という特異な使命を帯びて仕切り直しの出発と相成った。爾来、16年間、そういう問題と向き合い、それはそれで一定の社会的役割を果たしてきたと思っている。
▼子どもの歴史は、まず「大人の未完成品」という見方があり、その後ルソーの教育論とも相まって「子どもの発見」ということになるが、そのように子どもという存在が人類史上に登場したということは、必ずしも喜ばしいことばかりではなかった。それは「子どもの悲劇の誕生」と言うことと背中合わせであると言えなくもないのだ。以後、子どもの問題に様々な照明が当てられるが、子どもが子どもとして生きられない歴史の跡付けでもあったとも言える。
▼日本で大きく子どもの問題が取り上げられるようになったのも、やはり子どもの存在それ自体ではなく教育との関連においてであった。1990年代、それは「不登校」という切り口で脚光を浴び、近年は「育児放棄」や「虐待」という切り口が多い。そして、今回のそれは全く予想外の切り口「放射線被曝」という受難である。
▼子ども受難の歴史において、それがいかに不十分な関わりではあっても、少なくとも今までは大人がまだ未完成な子どもを教育し庇護するという立場からの関わりであった。そして少なくとも大人の関わりが変われば子どもは守られたのである。そして、そのために親だけでなく学校の教師をはじめとする教育関係者がその役を任じてきたのである。そして、良くも悪くもそういう子どものもろもろの教育の頂点に文部科学省(旧文部省)があった。
▼ところが、「想定外」の大地震によって引き起こされた「想定外」の福島第一原発の事故によって、本来は子どもを守る立場にあるはずの親や一般の大人たち自身が家を失い、土地を失い、職を失い、生活基盤を根こそぎ奪われて、着のみ着のままで流浪する事態となった。またそこに残った子どもたちにも年間20ミリシーベルトという異常に高い数値の放射線を「安心・安全」と言われて日々浴びている。その基準を設けたのは他ならぬ文部科学省であり、親も教師もそれに唯々諾々と従う。が、もしかすると、上からの命令だからと文科省の基準に従うことはみすみす子どもを放射能被曝に晒し、子どもたちの命を縮める加害の行為に加担しているのかもしれないのである。
▼「我が子に被爆させない行動をとると非難されます」とはネットから聞こえてくる現地の親の悲痛な声である。「まるで戦前・戦中の日本の様です」と評する人もいる。私にはそういう声を伝え聞くだけで何も出来ない。しかし、私たちの住んでいる地域でも真実の情報は隠されたままなのかもしれない、とも思う。一体、何のために、誰のために隠蔽するのか。すべてを明らかにして、判断は国民に任せた方がいいのではないか。気休めの言葉は返って真の判断を鈍らせるのである。
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