ぱいでぃあでの学びの一端を紹介
▼「よのなか科」の藤原先生とぱいでぃあでの学びの実践
これはもう、「フリースクール・ぱいでぃあ」の設立(2000年)から実施してきたことであり、今さら言うまでもないこととして殊更問題にして来なかったことだが、今回ふとしたきっかけから「教えなない勉強法」ということについて、ちょっと立ち止まってお知らせすることにした。(それは従来の学校での授業法を「古典的教授法」として退けるということでもある。)
それは日経の記事で、元リクルート社員としてプレゼンやマネジメントの術をマスターした後、和田中学校で「よのなか科」の授業や夜スペでTVでも名をはせたあの民間校長の藤原和博氏のその後の話に出会ったからである。
▼和田中学校を退職後、」奈良市立高校の校長として
自分は当時義務教育からの教育改革の実践者として藤原氏への関心はあったが、それはあくまでも文科省が設けた枠の中での実践であった。だから、学校の生活を捨てた不登校の子どもたちには直接関係のない試みとして深くは関わらなかった。
しかし、その藤原氏が和田中学校を退職された後、現在は奈良市立一条高校の校長として、そこでも「よのなか科」の授業を行い頑張っているという。そのことが都立両国高校付属中学の教諭・山本嵩雄氏との対談という形で紹介されていた。
▼「よのなか科」の授業と英語授業での試み
中学の校長時代に、「地域社会を学校教育にもっと入れていかないと義務教育は持たない」「もう先生たちだけでやれる時代じゃない」ということを実感したという。その藤原氏が今「よのなか科」の授業を通して試みていることがある。それは文科省が新しい授業の方法として大々的に喧伝している「アクティブ・ラーンニング」という方法を実際の授業で展開しているということ。
対談はそういう現在の藤原先生の「よのなか科」の授業に山本氏が参席し体感するという形で実現した。そして、その感想を語ることから、逆に藤原氏が山本氏が実践している英語の授業の話になっていく流れになっていた。結局は、両者の語るところに大きな違いはないということになるのだが。
▼「トレーニング」という学びを通した「生徒目線」の学び
つまり、新しく提唱されている「アクティブ・ラーンニング」とは、従来のように教師が一方的に授業を進めるのではなく、生徒が議論をたたかわせる中で、自らで解決の方法を見出していくという学びの方法である。
何のことはない、それは「ぱいでぃあ」(遊びと学びは同根という考え)が設立以来一貫して不登校の生徒達に行ってきた方法によく似ている。ぱいでぃあでは基本的に従来のような「教え--覚える」という勉強はしない。
だが、それは学ばないことでは決してない。遊びであれ、スポーツであれ、学びであれ、全ては「トレーニング」を通して個々人の向上を図るということが前提にある。だから、一人ひとり学びの方法も異なり(ここに関わる側の力量が試される)、「生徒自らが考える学び」をしてもらうことになる。
そして、それは必然的に「生徒目線」で考えることにもなる。「教科書に書いてあることはやらない」し、「生徒が教えられていないように感じる学び」を行うことになる。「生徒が安心して失敗できる」等は「ぱいでぃあ」では当たり前の風景に過ぎない。
▼「少人数、小クラス、複式学校」での学び
余談だが、学校は「少人数、小クラス」を嫌う。例えば、1クラスしかないような小規模の学校ではいつも生徒が固定されているからいじめが起きやすいと敬遠されたりする。先生は生徒を教えるものだという従来の発想ではそうなるかもしれない。
だが、逆に「少人数、小クラスはフリースクールでは望ましい」と考えている。そこには「複式学級の考え方」も生きている。ある時は生徒、ある時は先生の役にも容易になれる。人に教える立場になって初めて見えてくることも多い。また、生半可な知識では人に教えるわけにもいくまい。
藤原先生と山本先生の対談を通して、逆に自分たちがフリースクールで主に不登校の子ども達を対象にやってきた方法の先進性が裏付けられたような気もしている。
それよりも、文科省がアクティブ・ラーンニングなどと言っていながら、実際は藤原先生のような篤志家的な先生しかやっていない、やれていない現状が見える。「それで学校教育は本当に大丈夫なのか」と逆に心配になってくる。
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